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3-2. フランクロイドライト (2)

図3-2-2:ジョンソン・ワックス社外観

図3-2-2:ジョンソン・ワックス社外観

ジョンソン・ワックス社本社及び事務所棟は1936年に竣工した建物なので、ライト自身は69歳、キャリアの後半での作品です。日本でもカビキラーなどの商品でお馴染みのジョンソン株式会社のアメリカ本社の建物です。

図3-2-3:Great Workroom

図3-2-3:Great Workroom

この建築の一番の見所は上の写真に集約されています。直径23cmの細い柱が上にいくに従って徐々に太くなり、天井間近では「蓮の葉」のように550cmまで広がって屋根を支えています。この柱はライト自身にもlily pad(蓮の葉)と呼ばれ、このオフィス空間の主調を成しています。蓮の葉の上部は、天井高6.5mの大空間に十分で均質な光をオフィス空間に届けるべく大々的にトップライトとされていますが、それがまた、光の中で蓮の葉が浮いている様に軽やかな空間を作っています。殆どの住宅では重心がとても低く設計されていますが、このオフィスについては蓮の葉の部分、つまり重い部分を上の方に置き、そこに十分な光を落とすことによって、水の中から水面を見上げる様な浮遊感を獲得しています。

3-2. フランクロイドライト (1)

3. 近代以降のオフィスビル

フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)は、ミース・ヴァン・デル・ローエ(Mies van der Rohe)とル・コルビュジェ(Le Corbusier)と並んで、近代建築の3大巨匠と言われることもあります。3人の中ではライトは一番年上で、1867年に生まれ、1959年に91歳で生涯を終えています。日本には旧帝国ホテル(明治村に移築)や山邑邸、自由学園などの作品を残しています。一般的にはカウフマン邸(落水荘)を始めとする住宅作品やニューヨーク・グッゲンハイム美術館などが代表作として知られています。

図3-2-1:カウフマン邸

図3-2-1:カウフマン邸

若い頃には前述のルイス・サリヴァンの事務所に所属し、ライトが事務所外で個人的に住宅設計の依頼を受けていたことが発覚して事務所を辞することになりましたが、サリヴァンのことを”Lieber Meister”(親愛なる師匠・ドイツ語)と尊敬していたという事です。サリヴァン事務所の住宅の仕事の殆どはライトの担当の作品でした。
そのライトの作品履歴を見てみると、独立してからも殆どが住宅作品ですが、数少ない非住宅作品の中で非常に興味深いオフィス建築があります。

4-1. エレベーター (5)

エレベーターの登場は高さに対する建築の概念を変えたと言えるでしょう。通りとの関係を考えると地上階は変わりませんが、それ以上の階に関しては以前は地上との相対的な距離で価値が決まっていたのに対して、エレベーターはそれらを全て同じものにしてしまいました。「基準階」という概念が成り立つのもエレベーターがあってのことです。むしろ、価値を逆転してしまったと言っても良いかも知れません。現代の高層マンションなどは眺望の良さを売りにして、上階の方が高い値がついているので。

図4-1-4:Wainwright Building Elevator

図4-1-4:Wainwright Building Elevator

概念上は革命的なエレベーターでしたが、とはいえ一方で技術的には当初からそう簡単だったわけではありません。19世紀末に開発されたばかりの頃は、非常に遅かったそうです。この前も例に挙げたWainwright Buildingですが、現在なら1〜2機で間に合わせても良さそうな規模の建物に対して、4機のエレベーターが設置されていたのはこの速度のためです。その後、少しでも速度が改善される度にこの建物ではエレベーターを入れ換えていたそうです。建物を設計していてエレベーターの打合せをすることがありますが、現在でもメーカーさんが非常に速度にこだわっているのはそういう履歴があったためでしょうか。

4-1. エレベーター (4)

人用エレベーターの普及はニューヨークやシカゴにスカイスクレーパーをもたらしました。教会などの記念碑的建築物を考えると、それこそ中世の頃から現代の超高層にひけを取らない高さの建築物が建築されていました。建築技術の観点からすると石を積み上げて高層建築は出来ないことはなかったわけです。ではそれまでなぜ一般建築に対して高層が建てられてこなかったと言えば、単純に人が階段で上ることが大変だったからです。

図4-1-3:オスマニアン建築

図4-1-3:オスマニアン建築

以前にも例に挙げたオスマニアン建築はエレベーターが発明される前後に建てられた建物が多いですが、当時は未だエレベーターは設置されていませんでした。上図のものは7階建てですが、一般的に1、2階は地上の道との関係から商業や産業用途で、バルコニーで分節されている3階以上は住宅に使われていました。その住宅の中では下階の方がより資産価値は高く、最上階の屋根裏ともなると天井高は低く、細かく部屋に分かれていて使用人のスペースとして利用されるものでした。つまり階段で上まで昇っていくのは大変なことだったので、出来るだけ地面に近い方が有用であると考えられていたのです。イタリア語では地上階の直上階のことは「ピアノ・ノビレ」(貴族の階)と言われていたくらいで、富裕層は決して上層に住むことはありませんでした。

4-1. エレベーター (3)

産業革命に伴って蒸気機関を利用したエレベーターが18世紀以降使われ始めています。最たる用途は産業用で石炭を運ぶためのものでした。地中深くから掘り出した石炭を人力で持ち上げるのには限界があったのでしょう。19世紀の前半にはカウンターウェイトを付けたものも発明されています。
それでもOTISがいわゆるエレベーターの先駆けと言われているのは、人が乗用するものを発明したからです。恐らく多くの人が想像をしたことがあるかと思います。万が一、エレベーターを吊るしているロープが切れたら、と…。OTISの発明は、たとえそのロープが切れたとしても落下しないという安全性に対する技術を発明したことでした。1854年にニューヨークで開かれた万国博覧会のクリスタルパレスで、OTISはエレベーターのロープを切り落とすというデモンストレーションをして会場を沸かせました。それをきっかけに人用のエレベーターが実用化され、OTISの初号機は1857年にニューヨーク、ブロードウェイのビルに初めて設置されました。

図4-1-2:otis

図4-1-2:otis