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5-3. タイル (8)
日本で、現在のいわゆるタイルが使われるようになったのは、明治時代になって洋館が建てられるようになってからだと言われています。以前にトイレの稿でも書きましたが、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』の文庫本にまとめられている「陰翳礼賛」あるいは「厠のいろいろ」というエッセイの中で、日本の厠と西洋のトイレを対比的に書いてある箇所があり、西洋のトイレについては、白い室内における白い衛生陶器の風情の無さ云々、という旨が書かれています。衛生陶器そのものもさることながら、恐らく水廻りにおける白いタイルというものもまさに西欧建築の1つのアイコンだったことが伺える一節です。
いずれにせよ日本におけるタイルの受容は、水廻りのための内装仕上げ材というかたちであったと思われます。国外ではリビングやダイニング、寝室など場所を問わずタイルが積極的に使われているのとは対照的に、未だに日本では水廻りでの仕様が主であるようです。これは日本の生活習慣に一因がありそうです。玄関で下履きを脱いで裸足で歩くのに冬のタイルの冷やっとした感じはあまり良いものではありません。今では室内ではスリッパを履いて生活するのも一般的で、そうすると室内のタイル張りも悪くないように思えますが、やはりタイルを受容した頃の習慣は未だに残っているような印象です。
5-3. タイル (7)
日本建築において、タイルは即ち瓦ということで、陶磁器が建材として建物の部分を覆うということは屋根しかなかったようです。1つには雨の多い日本の気候では最も効果的に水の侵入を防ぐのに効果的であった一方で、壁に使うにはうまく留める方法が無かったのかもしれないですし、あるいはほかの素材に比べて重くなってしまうので地震の多い日本には構造的に重量が増えることが有利ではないからかもしれません。
仏教伝来当初から寺院建築には瓦屋根を使うという潮流になったようですが、一方で世俗的な建築物の瓦の利用は一時、途絶えていたようです。当時は杮葺きなどの屋根よりも瓦の製作に手がかかったのでしょう。モニュメントとなる寺院のみに瓦が作られましたし、鬼瓦が製作されたのも、そのビルディングタイプとしての象徴性があってのことでしょう。
その後、室町時代には茶の湯の勃興とともに茶釜の下に敷く「敷瓦」が発展しましたが、屋根材を鍋敷きに使う茶の湯の遊び心が、その他の建築物の部位にまで広がって使われるようにはなりませんでした。
5-3. タイル (6)
これまで国外におけるタイルの歴史的な流れを簡単にみてきましたが、日本についてはどうでしょうか。
記録に残っているのは538年に仏教が百済から伝来した時のこと、仏寺を建立するにあたって中国から寺工、画工とともに、瓦博士も同様に送られたという記述が、588年の日本書紀に残っているようです。この瓦博士が日本における初めてのタイルを作ったということになります。瓦とタイルは違うのでは?という疑問が挙がりそうですが、タイルというのは焼物で表面を覆ったものという定義に還れば、瓦もいわばタイルの一種ということになります。ところで、6世紀の時点で瓦が中国から伝来したということは、それ以前の日本建築には瓦屋根が載っていなかったということになります。恐らく茅葺きや杮葺きなど、自然素材をそのまま屋根に載せた簡素なものだったのでしょう。
ちなみに、この日本最初のタイル、瓦で葺かれた建築物は飛鳥時代の飛鳥寺だったそうで、平瓦を敷き詰めて、ジョイント部分に丸瓦を載せるという構成は現在の建物でもみられます。(但し、瓦そのものはオリジナルではありません。)ちなみに日本に現存する最古の瓦といわれるのは、元興寺のものといわれています。
5-3. タイル (5)
現在のウズベキスタンのサマルカンドの中心にあるレギスタン広場は、イスラム的なタイルが大々的に使用された有名な例の1つです。広場には3つの神学校が面しており、それぞれがブルーを基調とした見事なタイルの装飾が建物の表面を覆っています。紺碧の空を背景としたこの建物が、周囲の殺伐とした砂漠の風景の中で聳えています。
キリスト教世界ではモザイクタイルを使用してイコンの表現をするので、自ずとその画題は一定の枠の中に納めることになります。つまりベースとなる建物の内側、天井のヴォールト部分や軒蛇腹部分など、主にインテリアの部分に対してモザイクタイルの表現が集中されます。一方でイスラム世界の場合は幾何学モチーフのために、そのモチーフを無限定に繰り返すことができるために、建物の部分にとらわれることなく建物の表面全体に広げることができます。そういったこともあり、インテリアを超えて外観までタイルが敷き詰められていると考えることも出来るでしょう。
5-3. タイル (4)
モザイクが強力な象徴作用を見事に活かしたのは初期キリスト教における教会建築です。現在でもイタリア、ラヴェンナに残る4世紀前後の教会建築のインテリアでは、ドーム型やヴォールト型の天井は細かいモザイクによって描かれたキリストのイコンやキリストにまつわる寓話によって覆われていて、外の世界とは全く違うキリスト教の宗教的世界を見事に象徴しています。当時の人々がその教会に入って、美しい光と色の世界に身を置けば、きっとキリストの奇跡を信じることは難しいことでは無かったでしょう。
その後、時代が下って中世ゴシック、ルネッサンスなどの時代では、西欧ではモザイクを初めとするタイルによる建築の装飾はあまりみられなくなるように思います。一方で中近東では8世紀頃にイスラム教が起こり、イスラム世界ではタイルを全面的に使用した建築が多く見受けられます。(キリスト教も本来はそうだった筈ですが…、)イスラム教では偶像崇拝が厳格に行われていたために、絵画やモザイクなどで人物像を表象することはありませんでしたが、その反動かどうかは分かりませんが、タイルを全面的に使用した色彩や幾何学の表現が好まれたようです。