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4-7. カーテンウォール (10)
ここ間で紹介してきた金属フレーム・ガラスカーテンウォールのフレームは全て鉄製でした。もちろん現在でも鉄製フレームのカーテンウォールはありますが、より一般的なのはアルミ製です。人類にとって鉄は鉄器時代からある付き合いの長い素材ですが、アルミニウムはそれと比べると最近の素材で、18世紀後半に発見され、19世紀に入ってから金属素材として製錬されるようになりました。効率的にアルミニウムを製錬する電気製錬法は19世紀中頃には発明されていたようですが、肝心の電気を大量に発電する技術が無かったために、大量生産体制が出来るようになったのは20世紀中頃以降のことです。
日本で採用された最初期の例は1931年に竣工した村野藤吾設計の近三ビルヂングにおいて、鋼製のサッシの一部品として組み込まれたモノがあったとのことですが、1965年のこの建物の改築時にサッシも交換されているようで、実際にどのような姿であったのかは今となっては判り兼ねます。
4-7. カーテンウォール (9)
これら2つのガラスのカーテンウォールの最も大きな違いは、やはりプロジェクトが実現しているものと、一方は未完であるものとの差だと考えられます。ガラス張りの建物を構想する際には建築家は皆、「ガラスのスカイスクレーパー」のように純粋なガラスの壁と床スラブによる建築物を実現したいと考えるものです。ガラスを外壁にした高層ビルの着想を得た段階のピュアなイメージを、この「ガラスのスカイスクレーパー」は見事に表現してみせていると言えるでしょう。
一方で「シーグラムビル」ではそのガラスのカーテンウォールを実際の超高層に採用する際に、当然ながら技術的な対応を迫られるわけで、元々のピュアなガラスの外壁のイメージと現実の技術との折り合いをつけて、作品として見事に昇華させた例だと思われます。つまり「シーグラムビル」においては、耐風圧にマリオンをつけたり、スラブ、梁の陰に金属パネルを採用していますが、それらは当初のピュアなイメージからすると邪魔なものです。しかし、技術的にはどうしても必要なものですから、それを逆手に取って立面のリズムをつくり、超高層ビルの大きな立面に無限に続くかの様に思わせる様な緻密なリズム感をもって、マリオンと金属パネルを割付けました。また敢えてマリオンを外側に取付けることで、縦方向のプロポーションを強調し、マリオン自体もH鋼とすることで重くなりすぎないような、見事なレトリックが駆使されています。
4-7. カーテンウォール (8)
現代ではオフィスビルといえばガラスのカーテンウォールというイメージがある程度ありますが、その元を辿ると以前にも紹介したミース・ファン・デル・ローエに行き着くように思います。
マンハッタンで実現したシーグラムビル(1958)に先立って、1922年にはガラスの超高層ビルの高層は練られていました。このプロジェクトはガラスのスカイスクレーパーと呼ばれ、上の写真はその模型をコラージュしたものです。複雑な平面形状をしていますが、それは表面のガラスの複雑な反射によって建物の外形に揺らぎを与えるためでしょうか。ガラス張りの超高層ビルの構想が1922年に出来ていたものの、恐らく技術的な対応ができなかったか、あるいはそもそもプロジェクトの機会に恵まれなかったか。いずれにしろ、その構想が違った形で日の目を見たのは、以前にも紹介した1958年のシーグラムビルでした。
ガラスのスカイスクレーパーとは打って変わって、平面形状はシンプルな矩形平面です。それはこの建物のプログラムやマンハッタンの都市計画への対応、サッシュの技術的な対応もあってのことでしょう。それに加えて大きくイメージを異なるものにしているのは、カーテンウォールそのものの考え方が違うからです。
4-7. カーテンウォール (7)
時代は下って、こちらの建物は1935年から1938年の間に建設された「人民の家」[Maison du peuple]と呼ばれる建物で、屋内マルシェや事務所、映画上映用のホールなどのコンプレックス施設です。パリ郊外クリシー[Clichy]に位置し、マルセル・ロッズとウジェーヌ・ボードワン、ジャン・プルーベ、ウラジミール・ヴォジャンスキーによる設計で建てられました。設計者達はこの建物に先立って、世界大戦によって破壊された住宅の大量供給を目的として、プレハブの工業化集合住宅の研究を協同して続け、いくつかの集合住宅のプロジェクトを完成させています。
当時の建設現場は既製品による組合せによるものではなく、多くの部材が材料からの手作業によって作られていたことは想像に難くありません。戦後の男手の不足で住宅を始めとする建設労働者の供給不足を解消するための建築部材のプレファブ化は大きなテーマだったと思われます。
「人民の家」はそうした流れの中で設計された作品の1つで、フランスで最初に作られたプレファブリケーションによるメタルカーテンウォールの建物として知られています。外側に縦方向に付けられたマリオンなど、その意匠は現在のメタルカーテンウォールと比較しても古びないもので、意匠性においては当時に既に完成されているといっても良いかも知れません。
当時の新聞には「最初の王冠の宝石」「機械の宝石」と書かれ、センセーショナルに、そして機械賛美の非常に前向きなプロジェクトとして捉えられていたようです。
4-7. カーテンウォール (6)
さて建物の方は当時の最先端の鋳鉄による構造体です。壁は全てレンガが積まれており、表面はセラミックのタイルで仕上げられて、カラフルなグラフィックのファサードとなっています。さて、レンガ造でカーテンウォール?という感想もあるかと思いますが、あくまでもこの建物の荷重は鉄によって支えられていて、外壁のレンガはまさにカーテンウォールで自重のみを支えていることになります。一見すると旧来のレンガ造の建物にも見えなくはないのですが、壁面全てがレンガのみに見えるということがポイントです。建物全体の荷重を組積造で支えるとしたら、レンガはそれだけの耐力を持ち合わせてはいません。例えば時代を遡ってパリのルイ13世様式の建物を見てみると、主たる構造体はライムストーンの組積造で隙間を埋める形でレンガが使われており、建物の荷重を受けていません。
ムニエの工場では内部に線材で構成されたスチールの構造体があるために、外壁では自由な立面をつくることができ、このようにレンガで全体を覆うことが可能となっています。
ちなみにこの建物は水車[moulin]の建物で足元の水の流れによって建物内で水車を回していたようです。恐らくカカオを製粉していたのでしょうか。そういうこともあり構造的には窓が大きく取れるものの、建物を閉じて使用していたのですね。また鉄骨造によって建物内に大空間を実現して、水車を回す建物の容積を獲得したと言えるでしょう。