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4-10. アトリウム (2)
古代ローマのドムスにおいて、アトリウムは最も重要な場所として位置づけられていたといいます。床は大理石で仕上げられて、スペースを広く見せるためにあまりモノはおかないようにしていたそうです。アトリウムの上部は勾配屋根が架けられていて、プレロマンの時代にはその屋根の勾配は内側に向いていたとのこと。(上図は19世紀ポンペイのアトリウムを描いたもの。屋根の勾配が外に向かって低くなっているので、プレロマン以降の形式と考えられる。)アトリウムの真中には[impluvium]と呼ばれる水盤がおかれ、屋根から落ちてくる雨水をその水盤に溜めるという仕組みだったようです。南イタリアの気候を考えれば水の確保というのは重要な課題で、以前にも書きましたが、古代ローマが長期間にわたって繁栄した1つの理由は水道が整備されたことだと言います。水道に加えて、このような雨水の確保といったような水対策がきちんと考えられていたという事だと思われます。
古代ローマ時代はバシリカにもアトリウムが付設されていたこともあり、バシリカを原型としたその後のキリスト教会建築にも当初はアトリウムが付いていたようです。現在でもよく見られる教会のファサードの手前に中庭を囲むかたちで回廊が廻るもので、現在でもイタリアの幾つかの教会で残されています。
4-10. アトリウム (1)
4. オフィスビルの部分
大型の開発などで建てられる超高層ビルにはエントランス部分にアトリウム[atrium]と呼ばれるガラスの大空間が設置されていることがあります。アトリウムといえばまさにガラス屋根の大空間というイメージですが、言葉としてはラテン語で古代ローマ時代からあるようです。
ラテン語でアトリウムは「開かれた中央の中庭」を意味していて、古代ローマの住宅(ドムス=[domus])の主要な部分を占めるものでした。ドムスは古代ローマの中・上流階級の市民が住む都市住宅で、外的の侵入を拒むために表の通りには出入口のドアしか開口部は無く、残りの部分は壁だったといいます。武家屋敷に塀が廻っていて、門のところだけ出入りできるというイメージで良いでしょうか。外壁に対して採光がないということで、住居内に天窓がついた中庭を取ることで採光、通風を確保したのでしょう。下図によれば、玄関(vestibulum)を通って最初に入る場所が中庭になっており、そこがアトリウムと呼ばれていたようです。
都市住宅ということを考えると日本の町家の形式との類似を見出しても良いでしょうか。間口は狭く奥行きが長い平面に対して、採光と通風を得るために中庭を適宜配していくという形式です。客を歓待するという用途的な意味では違いますが、空間構成としては近いイメージをもっても良いでしょうか。
4-9. エントランス (5)
シーグラムビルとはある意味で対照的なつくり方をしている例を挙げてみたいと思います。
1980年代にパリ市内に建てられたアラブ世界研究所という建物でジャン・ヌーヴェルという建築家の設計です。アラビア圏の文化施設として建てられたもので、オフィス、図書館、美術館、レストラン、カフェを内包する複合施設です。純粋なオフィスビルではないので単純には比べられないのですが、シンプルなキュービックなボリュームが前庭的な広場に面しているという点で相似しているとも言えます。ただしこの建物の場合はエントランスの階高が他の階と等しく、そもそも階高が極めて低く抑えられている建物なので、エントランスとしては極めて低い空間となっています。
これが普通のつくり方をしていればただ天井が低いだけの鬱陶しいエントランスとなってしまいますが、エントランスに入ってすぐ左右に上下に繋がる階段とガラス張りのエレベーターを配置しています。そのことで低く抑えられたエントランスからすぐに上下に広がる空間に出るので、鬱陶しさというよりもむしろ崇高さを感じるような空間が演出されています。
またシーグラムビルのような開放的なエントランス空間を作ることで、ある意味で開けっぴろげな外との連続性がつくられているのに対して、アラブ世界研究所の例では極めて暗いインテリア空間がつくられています。日中では外との明るさのコントラストによって、まるでフレーミングされた1つのシーンのように前の広場がみえてきます。それは陽射しの強いアラブ圏の建物の陰から外を眺めているような、そんな印象があります。
ただしこの建物の場合には広場とは逆側のセーヌ川からの別のエントランス(美術館用)も用意されていて、そちらは正反対の縦長のスリットの空間から入っていくものです。
4-9. エントランス (4)
またシーグラムビルではエントランスがある地上レベルは2階分の階高をとっています。
事務室内の意匠はテナントによって様々だと思われますが、エントランスの内装は大判の石で床と壁を仕上げており、かなりカチッとした印象です。
先に出した平面図をもう一度見てみると、このエントランスとして捉えられる空間はガラスの中にエレベーターと階段の縦動線のボリュームが3つあるだけで、建物の外観上もそのようにみえます。ただしこのガラスのボリュームの背後には大きな床が広がっていて、こちらがサービス部分の機能を分担しているため、石で仕上げられた縦動線のボリュームのみがガラスの箱に入っている意匠をつくれています。この背後の部分は低中層部しかないので、建物の外観上はシンプルなガラスの超高層に見えるように設計されているということです。
なぜこの建物を取り上げているかというと、2次大戦後に建設されているにも拘らず、未だにオフィスビルのある種のスタンダードなあり方としての原型を見出せるのではないかと考えているからです。
4-9. エントランス (3)
このようにメインエントランスはそこを出入りする人を考慮するとその建物の「顔」となるような部分で、それなりの構えをすることが殆どです。以前にも例に挙げたミースのシーグラムビルのエントランスを見てみましょう。
2階より上の部分では外観上、均質なグリッドが繰り返されるような意匠となっていますが、エントランスがある1階ではその外壁のカーテンウォール部分がセットバックして、構造の柱が外部に出てきています。平面図を見るとよりよく分かるでしょう。
正面ではガラスが約1/4スパン分セットバックされており、また左右でも1スパン分のガラス面がセットバックされています。また正面では唯一ファサードから飛び出している要素といっても良いでしょう、庇がエントランス部分だけは突出していて、ここがエントランスであるということを象徴しています。庇は雨を避けるであるとか、日射を抑制するという機能的な役割はもちろんあります。その目的を充足するためだけならば、恐らく正面のガラスをもっとセットバックさせて庇を付けないでもピロティ(建物のボリューム下の列柱空間)だけでもよく、計画も調節できたはずです。この建物の場合はそのようなことをせずに敢えて庇を出すことにしているのは、建物の手前にある広場とエントランスの関係を明確に位置づけたかったからでしょう。エントランス/庇/広場という直列的な関係をつくることによって、広場を含めた建物のエントランスとしての意味を強めていると言えるでしょう。