新着情報

8-4. 建築関連法規 (2)

建築基準法を補うようなものが建築基準法施行令です。基準法が法律なのにたいして、施行令は政令です。基準法上で定められた内容をより具体的に位置づけています。実際には基準法が大まかな方向性を位置づけていると考えて、それらの細則を定めています。例えば階段の蹴上げと踏面の最低寸法が定められていたり、廊下の最低の幅をその建物の用途や規模から定めるといったことです。
さらに細かいことについては、国土交通省が個別に告示というものを出しています。ここでは施行令でもカバーできていなかった実際の問題に対して新しい基準や解釈を示すということや、時代に依って変化する内容をその都度示すということもあるかと思います。例えば数年前に出された告示で、延焼の恐れのある範囲におけるアルミサッシの窓の構造についての告示が出されて、私の担当した案件で設計時ではOKだったものが、施工時には新しい告示の基準に対応するようにしたということがありました。
ということで、基本的には、建築基準法>建築基準法施行令>国土交通省告示、というヒエラルキーで法規を追っていけば、概ね取りこぼしがなくなるのかなと思います。

8-4. 建築関連法規 (1)

8. オフィスビルの法律

建築物の設計時には法律、条例、告示などかなりの数のこれら関連法規に準じて設計をする必要があります。「オフィスビルの法律」という稿を書くにあたり、もしかしたら最初に書くべきだったかもしれませんが、どのような類いの法規によって建築物が制約を受けているかということを簡単に網羅しておきたいと思います。
建築物の設計、建築にあたり、最も基本となる法律が「建築基準法」です。これまで書いている、面積に関する制限、高さに関する制限、防災に関する制限や構造、設備、室内環境に関する制限などが謳われています。その目的は第一条に書かれている通りです。
「第一条  この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。」
私が思うに、ここでのポイントは基準法があくまでも「最低の基準」であり、そのことによって「(個人としての)国民の生命、健康及び財産の保護」とともに「公共の福祉」を担保するということです。自分の敷地内だからといって、何でも思い通りに建物を建てて良いわけではなく、そこに居る人々を護ることはもちろん、「公共の福祉の増進」、これは都市的な眼差しだと思います。つまりある敷地に建つ建物は都市の一部でもあるという前提で、その都市の良好な環境を確保しましょう、という目的があると考えて良いでしょう。事実、この建築基準法は都市計画区域外だと極端に制約が少なくなります。

4-10. アトリウム (5)

さてここで現代日本のアトリウムに戻りたいと思います。冒頭にも書きましたが、都心における大型再開発がなされた場合に、このアトリウムはクリシェ化していると言っても過言ではないでしょう。また逆に大型の再開発以外でアトリウムという建築言語を用いるのはごく一部の例ではないでしょうか。この原因は偏に制度上の枠組みにあるといっても良いでしょう。
建築基準法上には総合設計制度という容積率を割り増しすることができる制度が謳われています。容積率の割り増しは不動産投資としては非常に大きなメリットとなりますが、一方で公開空地という一般の人々が敷地内に入れるような空地を公に公開して、良好な市街地形成に貢献するといったことが条件となっています。この総合設計制度においてアトリウムが公開空地の1つとして位置づけられています。大型の再開発の場合は低層部に商業施設を併せて配置するのは常套手段ですから、セキュリティ上、外部の人も入れることを前提となっている商業施設とアトリウムをセットにして敷地内に配置することで、再開発において高層部分の容積率を稼いでいるという仕組みです。
このアトリウムと商業施設のセットは制度上の要請から一義的に決まってきている部分もあり、本来的にそれが良好な市街地形成に寄与しているかどうかというところは怪しい点ではあります。また、古代ローマから存在するアトリウムの空間的な価値も制度から離れたところで再考させられるような建築作品があれば良いな、と筆者は個人的に考えています。

4-10. アトリウム (4)

現代では目にすることのあるアトリウムという場所ですが、前回の修道院の例をアトリウムでないとすれば、初期キリスト教以来、アトリウムはしばらくその存在は忘れられていたのかもしれません。しかし、産業革命が起こり、鉄とガラスが博覧会建築をきっかけとして一般建築にも使用されるようになってきた19世紀、中庭のような大空間をガラス屋根で覆うということがなされるようになりました。先述の通り、ポンペイの発掘が18世紀に始まっていますから、その頃には間違いなく古代ローマの意味でのアトリウムという場所の認識はできていたでしょう。このガラス屋根のインテリア空間に対する名前として、古代ローマの「アトリウム」という言葉が空間的にも用途的にも近いのではないかということで充てがわれたのではないでしょうか。

図4-10-5:Helifax Town Hall

図4-10-5:Helifax Town Hall

現代の日本では例えばwikipediaには「ガラスやアクリルパネルなど光を通す材質の屋根で覆われた大規模な空間のこと」と定義されており、古代ローマの時の応接的な用途や中庭であることなどは定義の枠組みから外れ、「ガラス屋根の大空間」というのが一義的になってきているようです。一方でエントランス空間の1つの形式であるという認識は残っているようにも思います。

4-10. アトリウム (3)

古代ローマのアトリウムがバシリカ型の初期キリスト教会に形を変えて残りましたが、その後はアトリウムがなくなって現在でもよく見る十字架平面の教会へと形を変えていきました。一方で13世紀に成立したドミニコ会など一部の修道院建築では教会の礼拝堂に回廊が付随しているものが度々みられ、これは初期キリスト教会のアトリウムの名残ではないかと考えています。というのは、ルネサンス期となり、ルネサンス(再生)の言葉が示すように古代ギリシアおよび古代ローマに関する研究が盛んに行われたことで、建築の様式としても参照できるようになったのではないかと思われます。(但し、ポンペイの遺跡は18世紀から発掘が始まったようで、現代のような知識はなかったと予想されますが。)また、修道院というと修道士がその場所で生活も送るということで、アトリウムを中心に諸室が配列されるドムスの形式が修道院というビルディングタイプと重なるということも考えられます。
※以上は筆者の個人的な解釈で、建築史の通説ではないと思われますので悪しからず。