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9-3. 色 (6)
とある人がド派手な色の服装をしていても、奇妙な目で周辺の人から見られる程度で、一般的には特段の規制を受けることはないかと思われます。しかし建物の外観となると場所によっては、条例などによってある程度強制的に、そうでなくても社会的な眼差しが向けられているということが、これまでの内容から分かるかと思われます。そういう意味で、建物の外観における色は多かれ少なかれ社会性を背負わざるを得ないと言っても良いかと思います。
これまでの例にさらに一つの例を付け加えると、千鳥ヶ淵に建つガエ・アウレンティ設計のイタリア文化会館も周辺の景観との調和という点で過去に論争になっています。
今までの議論の一方で、建物の内側、インテリアになるとそのような議論は殆どないでしょう。(本稿はあくまでもオフィスビルに関してのエッセイなので考えてみると、)とはいえ、オフィスビルに下の写真のようなカラフルなカーペットを張るような極端な例はあまり多くなく、一般的にはある程度抑制された色にすることと思います。この場合は社会的というよりも、そのユーザーあるいはデザインする側の習慣的な作法の中で色の決定などがなされていると考えれば良いでしょうか。
9-3. 色 (5)
さて楳図かずお邸の件は吉祥寺にて問題になりましたが、その手の問題を回避するために例えば軽井沢のような風光明媚と認知されている地域では、都市計画法上の風致地区という地区・地域の指定により、建築する建物や看板等に色彩に関する一定の制限がかけられている事があります。
上図は軽井沢内の有名なコンビニエンスストアのチェーン店ですが、普段からみなさんが見かけているものとは色味が違う事がお分かりかと思います。一般的な地域のものよりも少し暗くて、色が濃いので比較的落ち着いた印象を与えるかと思われます。
実際に軽井沢の風致地区でかけられている規制は、建物の外壁の色が茶色系統、灰色系統であること、建物の屋根の色が黒色系統、緑色系統であることが明記されています。また風致地区ではなく、自然保護対策要綱という規則の中でも建築物を新築する際には届け出が必要である旨が謳われていますが、そこではより厳密に指定する地域ごとに彩度が4以下であること、あるいは明度が7以下であることが指定されています。
9-3. 色 (4)
筆者としてはそもそもこの判決の「景観の調和を乱すとまでは認められない」というところには疑問があります。「乱すとまでは認められない」ということですが、「景観の調和」が存在しているという前提でしょうか。判例が検索できなかったので正確には分かりかねますが、裁判に至る前に原告が東京地裁に工事差し止めの仮処分を申し立てており、その際の地裁の判断は「地域にある建物の色はさまざまで、特別な景観があるとはいえない」ということで、申し立てを却下しています。そもそも景観とは何かという定義は学問領域によっても違いますし、景観法上では「景観とは何か?」という定義はなされていないそうです。そうすると「景観」という概念が「色」に関係するということすらも位置づける事が出来ないので、「建物の色」と「特別な景観」に関係がありそうなこの地裁の判断の根拠も本当のところは良くわかりません。
極端な例ですが、上の写真のような場合は「景観」という事も明らかに言えるかもしれません。ここに楳図かずお邸が建っていたとしたら、明らかに多くの人が「景観」を乱していると認知することは考えられます。
ここでは何はともあれ判例の詳細が分からないので、これ以上は深く立ち入らないこととします。
9-3. 色 (3)
さて建物単体としては自由に色をコントロールは出来るでしょうが、それが社会的に受け入れられるかというと、また違った論点になります。数年前に話題に上りましたが、漫画家の楳図かずおさんの自邸が紅白のストライプで外壁が着色されているということで、近隣住民から訴えられるということがありました。
この建物がいわゆる吉祥寺の住宅街に地域に建ったのが、この事件のすれ違いだったのかも知れません。例えばネオンが煌めく新宿の歌舞伎町に建てば対して目を引くこともない建物だったでしょうが、緑豊かな閑静な住宅街であるというイメージを住人、あるいは一般の方々が抱いているということが、この種の議論のきっかけになったことでしょう。実際に訴状では「住民は景観破壊で平穏に暮らせず、騒音被害ならぬ『騒色被害』を受ける危機に直面している」と記述されていたようで、色が人に対して被害を及ぼす可能性について言及されていました。
事の顛末としては、東京地裁の判決では「周囲の目を引くが、景観の調和を乱すとまでは認められない」として、原告敗訴、楳図かずお氏が勝訴となっています。
9-3. 色 (2)
実際に当時の建物は、真壁の木造に砂壁や瓦などの仕上げが多かったでしょうし、先に見た映画のシーンの印象は実際のそれと遠くはなかったのではないでしょうか。戦後の昭和の写真を探しても白黒のものしかなかなか見つからないのですが。
現在では例に挙げた戦後すぐの時分に比べれば、多様な建材が建物に使われていて、色についても街中にはいろんな色が溢れているであろうことは想像できます。塗装できる材料であれば、それこそある程度自由にモノの色を選べますし、タイルなどの工業製品も予め色が決められた中から決めることが出来ます。一方でアルミサッシやその廻りを埋めるシーリング材などは色の選択肢が狭いです。また、自然素材である石などはその風合いをコントロールするのは難しくて、張る場所によって色味が違ってしまうことも度々あります。もちろん、石に塗装をすることだって出来なくはありませんが、そうなると石を張る意味がなくなっていまいます。
現在では塗装が出来なくて色の選択肢の幅が狭い建材というものは、ある程度限られていることもあって、そういう意味では建物の色は自由にコントロールできると考えても良いかもしれません。