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4-14. 窓 (6)

このようなアーチが全面的に使われた例として真っ先に思いつくのはコロッセオです。

図4-14-6:コロッセオ

図4-14-6:コロッセオ

円形の建物の全周に渡ってアーチが使用されていて、断面方向にはすり鉢状に、アーチが円の中心に向かって縮小されています。アーチの開く方向の力については、平面的に全体が円になっていることもあり、全てのアーチが互いに横方向の力を支え合っているという形で力学的には非常に安定しています。事実、コロッセオが建築されて以来、幾度となく大きな地震に見舞われていますが、倒壊することはないといいます。ただし、中性の時代を通じて、その膨大な量の石素材から他の建築物の建材として再利用され続けたために、現在のような建築当初のきれいな円形の形にはなっていないとのことです。ちなみに同じローマにあるバチカンのサンピエトロ寺院にも、コロッセオで使われていた大理石が転用されたそうです。
ところでこのコロッセオですが、収容人数が45,000人にもなるそうで、現在のスタジアムと比較してもかなり規模の大きいものです。建築計画上、このように多数の人間が一堂に会する建物を設計する場合には、人の流れをきちんと計画しなければ大きな事故を誘発してしまう可能性もあるのですが、その点でいえばこのコロッセオは全周開口部なので、一度に大多数の人の出入りを許容できてしまうという計画上のうまさもあります。2階以上のアーチ部分(即ち窓と言っても良さそうな場所)は、そういう意味ではあまり関係がないかもしれませんが、外からアイレベルで見た時にアーチを通して空を見えたりするあたりで、建物の規模や形態からくるマッシブなボリュームを解消して、外観を軽くするような意匠的な効果は感じられます。

図4-14-7:コロッセオ外観

図4-14-7:コロッセオ外観

4-14. 窓 (5)

開口部の最もプリミティブなあり方はやはり柱の上にまぐさが載るような形式で、それは古代ギリシアやそれ以前の建築物にも見られますが、古代ローマになるとアーチが出てきます。アーチそのものはメソポタミアや古代エジプトにも存在はしていたようですが、排水路や地下の構造体に使われていた程度で積極的には使われていないようです。建築にアーチを積極的に使い始めたのは、古代ローマ時代にイタリア中部に住んでいたエトルリア人がローマに伝え、ローマがそれを洗練させていったということがあります。
力学的にはまぐさで開口部をもたせようとするとその上部の荷重をそのまま鉛直方向に伝えるために、両サイドで柱が支える個所に大きなせん断力がかかります。そのためにまぐさ形式では幅の広い開口部は開けることは出来ませんでした。しかしアーチを用いることによって、上部の荷重をアーチに沿って両サイドの壁に鉛直方向の荷重として伝えることができます。石は引張りやせん断よりも圧縮力に対して強いですが、この時の石には圧縮力がかかる形で両サイドに力を伝えています。またどうしてもこういった場合にはアーチが外側に開くような力が働きますが、それはギリシア建築のように柱で受けるのではなくて、壁で受けることによって開く方向の力にも耐えられるように考えられていることが多いです。

図4-14-5:アーチ

図4-14-5:アーチ

4-14. 窓 (4)

窓と扉の差異を考えてみましたが、窓や扉と壁の差異も考えてみましょう。まず始めに思いつく要因は開閉が可能かどうかです。材料がなにであれ、開閉が可能であればそれは窓なり扉なりと考えられるでしょう。しかしここで思いつく反例として嵌め殺し窓やカーテンウォールが考えられます。カーテンウォールがPCやALCで出来ている場合、それは明らかに壁なのですが、ガラスとなると法的にもカーテンウォール(壁)と言いつつ開口部として扱われます。はめ殺し窓も透明な素材、あるいは半透明でも透光性があればそれは開口部として位置づけられるでしょう。つまり開閉が可能であるか、あるいは視線の内外を視線の関係を何らかの形で連続していることが壁ではなく、窓あるいは扉の条件であると考えて良いかもしれません。(実は大理石などは光を通す素材なので、大理石の壁を考えるとこの考え方もかなり際どいところではあります。)
さて先に例に出したピラミッドを思い返してもそうですが、窓は必ずしも建築になくてはならないということはありません。逆に扉は外部空間から内部空間に入っていくためには必ず必要なものです。ギリシアのパルテノン神殿を思い返してもそうですが、列柱の奥には壁で囲まれた内部空間があるのですが、そこには出入りの扉はあるものの窓は設えられていません。

図4-14-3:パルテノン神殿

図4-14-3:パルテノン神殿

よりプリミティブな例で竪穴式住居を思い出しても同様で、出入りをする部分以外には開口部はなく、窓を作るようになるのはもう少し後になってからということが考えられます。

図4-14-4:竪穴式住居

図4-14-4:竪穴式住居

4-14. 窓 (3)

「窓」や「扉」は2つの世界を隔てる壁についているものです。「運命の扉」や「心の窓」と言ったような慣用的な表現があるように、物理的な隔たりを繋ぐということもさることながら観念的な事柄を表現する際にも「窓」や「扉」がでてきます。例えば心理学で「ジョハリの窓」という窓をメタファーにしたコミュニケーションモデルがあるのですが、「自分/他人」「分かっている/分かっていない」をマトリクスに組んだ「対人関係における気付きのグラフ」というものだそうです。

図4-14-2:ジョハリの窓

図4-14-2:ジョハリの窓

直接的には建築の窓とは関係はありませんが、このように世界を繋ぐというところにおいて窓はメタファーとして多用される、象徴的な意味作用をもった建築の部位だと考えられるでしょう。

さてここで一応、窓と扉の違いを簡単に整理しておきたいと思います。窓も扉もガラスで出来ていて視線を通すこともあるし、あるいは木の板で出来ていて視線を通さないことはあり得ます。何が最たる違いかを考えると、そこに人の往来があるかどうかだと考えられないでしょうか。それは物理的な差異ではありません。掃き出し窓と呼ばれる床に窓の下端が付くタイプの窓がありますが、これは読んで字の如く箒で室内を清掃する際にゴミを外に掃き出すための窓です。ただし、その窓が大きくて明らかに人の出入りが出来るようなモノもあるでしょうが、その場合は出る先はもちろん外部ではあるものの、ベランダであったり、軒下の空間であったり、外だとしても敷地内のどこかであったり、それより外側にさらに外部空間が考えられている場合だと思います。そういう意味で外部とのひとの往来がある開口部が扉であり、往来がないものが窓だと考えられます。
そうするとこういう意見が聞こえてきそうです。窓からでも外に出れるではないか、と。当然、そういう可能性は考えられますが、それは泥棒であったり例外的な事例であって、建築的な意図としてはそのモノの有り様は本来的なモノからは外れているので、考慮しなくても良いでしょう。

4-14. 窓 (2)

テントとピラミッドの例で考えて、「内側」と「外側」なり、「こちら側」と「あちら側」なり、空間を何らかの形で分節しているとそれは建築であると、ここでは仮に考えておきます。その分節をしている垂直の要素が壁であり、水平の要素が床や屋根になります。ここで「こちら側」と「あちら側」という関係と「内側」と「外側」の関係を考えるとそれは「場」が囲われているかどうかであると考えて良いでしょう。分節によって1つの場が2つに分けられているのですが、それが隣接するような関係であれば「こちら側」と「あちら側」の関係になり、包含関係にあれば包含される側が「内側」となり、包含する側が「外側」となります。空間の関係は究極的にはこのような2つの関係に収斂していきます。位相幾何学でより詳細な議論はあるのでしょうが、とりあえずの議論はここで止めておきます。
ここでようやくこの稿の本題に入ります。抽象的な議論からまた具体的な例に戻ると、これら隔てられた2つの場を改めて繋ぐモノが建築物では建具とよばれる、窓であり扉となります。