8-3. 火災 (2)

明暦の大火災では江戸の大半が焼失したといわれ、江戸城の天守閣もこのときに無くなり、そのとき以来再建されていないとのことです。お堀で街からは隔てられたお城の天守閣が燃えるということなので、相当な火の勢いだったでしょう。

図8-3-1:明暦の火災

図8-3-1:明暦の火災

現在では考えられない様な火災の広がり方が伝えられていますが、一部の身分の高い人のお屋敷を除いて、瓦葺きよりも恐らく茅葺きや杮葺きのような植物を屋根に載せているようなつくりの建物が多かったでしょうし、当時は人口も過密してきて殆ど建物間の距離もとられずに建てられているように思います。当然、構造は木造だったでしょう。この明暦の火災の前、80日間ほど雨が降っていない様な非常に乾燥した状態で、そこに北西の風も強かったといいます。大火災に成る可くしてなったといっても過言ではない状況だったようです。
この火災は江戸時代初期に発生したものでしたが、その後も何度も大火に見舞われているとはいえ、ここまでの被害は出ていません。それまでの江戸は戦国時代の流れの中で軍事的なことを前提とした、つまり都市防衛などを考慮した都市計画とされていたようですが、この明暦の火災を機に新たな都市計画の下に江戸を復興させたとのことです。また、これを機に消防制度も変わって、自主的な防火組織が組まれたりもしたようです。

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