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3-1. ルイス・サリヴァン (4)

図3-1-3:Guranty Building plan

図3-1-3:Guranty Building plan

メインエントランスから入って正面には4機のエレベーターが並んでいます。エレベーターについては稿を改めますが、19世紀後半に実用化されて建築の高層化を押し進めた原動力はエレベーターです。基本的な縦の動線はエレベーターが担っていたことでしょう。(但し、当時のエレベーターの速度は極端に遅かったようで、速度の改良に伴い度々、エレベーターを入れ換えたようです。)エレベーターの脇には階段が据えられています。
基準階のプランは中廊下型の動線を取った、南に対して開いているU字型です。当時、電灯がどの程度普及していたかは分かりませんが、恐らく自然光での採光を前提としているため、南側に凹みを作るかたちで採光を満足させていたものと考えられます。この凹みは同時に地上階のトップライトによる採光も兼ねています。
プランを見れば構造のスパンが見て取れます。凹み側ではそれをそのままを開口部の幅寸法としているのに対して、通り側の立面は構造スパンを2つに割った寸法を基準としていることが分かります。「形態は機能に従う」を鵜呑みにするのならば、この点に関して言えば矛盾とも言える対応です。やはり格言は格言としてあるのであって、それを原理主義的に運用するのではなく、立面全体のバランスをみて対応しているということは、サリヴァンの柔軟性を示しているのではないでしょうか。もし構造スパンでファサードを作ってしまうと、大味になってつまらないものとなっていたでしょう。ここには技術的な合理だけでは説明できない、建築に内在する構成やスケール/プロポーションという問題が一方にあるのです。

3-1. ルイス・サリヴァン (3)

「形態は機能に従う」を「機能さえあれば一義的に形態が決まる」と考える訳にはいけません。例えば外観で使用されているテラコッタタイルには、細かい装飾が施されておりこれは機能から説明しようとしても出来ません。また低層部と中層部のタイルを入れ換えたところで、彼の格言から外れるということでもありません。つまり、先述しましたが、この言葉を考える上では、その時代の雰囲気というか、文脈を考慮に入れることは不可欠です。現代的な我々の感覚で言葉尻を捉えてしまうと、彼の言わんとしたところを取りこぼしてしまいます。

図3-1-3:Guranty Building plan

図3-1-3:Guranty Building plan

上図の左が地上階、右が基準階の平面図です。この図で下方向が概ね北向きの方位となっています。つまり北と東に通りと面する角地で、北側がメインエントランスとなっています。地上階には通りに面して商業用途が入り、メインエントランスからは独立した入口が取られています。南西の角は奥まってしまいますが、南東方向からの細長いテナントとして、その真中あたりにはトップライトを開けることで奥まったテナントにも自然光を供するものとしています。

3-1. ルイス・サリヴァン (2)

ルイス・サリヴァンの言う「形態は機能に従う」とはどのようなことだったのでしょうか。このGuaranty Buildingは彼のこの格言を説明するのによく使われている建物です。外観を見てみると高さ方向に大きく3つの部分に分かれていることがわかります。1,2階の低層部にはオフィスのエントランスと通りに面した商業用途が入り、高い階高と大きな開口部が取られています。小さな庇で分節されている3階以上はオフィスビルが入り、鉄骨の架構の半分に合わせたピッチで開口部が取られています。また外装材のテラコッタタイルのデザインも低層部とは異なっています。最上部はエレベーターのオーバーヘッドを含めた階となるので、窓は中層部と同様に四角いものの、額縁の上部をアーチにし、更にその上には円形の開口部があります。このように内部の用途(機能)に合わせて外観(形態)も相応に対応していく、ということがサリヴァンの「形態は機能に従う」ということです。

図3-1-2:Guaranty Building

図3-1-2:Guaranty Building

現代的な感覚で考えてしまうと大したことは言っていない様ですが、少し前の新古典主義の時代を考えるとかなり先進的な発想だったと言っても良いでしょう。同時代の欧州ではアール・ヌーボーが興り始めたばかりであることを考えると、いち早く合理主義的な建築観が芽生えていたと考えても良さそうです。

3-1. ルイス・サリヴァン (1)

3. 近代以降のオフィスビル

前回まで「オフィスの歴史」ということで、古代から近代にかけてオフィスに関する歴史を辿りましたが、近代以降は具体的に個々のオフィスビルについて書いていきます。
ルイス・サリヴァン[Louis Sullivan]は1856年生まれのアメリカ人建築家です。“スカイスクレーパーの父”や“近代建築の父”との異名をもつ建築家で、「形態は機能に従う(Form ever follows function.)」という格言を残したことでも有名です。キャリアの当初は劇場の設計で有名になりましたが、その後、高層ビルなどを手がけています。

図3-1-1:Guaranty Building

図3-1-1:Guaranty Building

Guaranty(Prudential) Buildingは彼が設計した初期のオフィスビルの1つです。ニューヨーク州バッファローに1894年に竣工しています。ニューヨーク州と言っても五大湖にを望む少し内陸に位置し、20世紀初頭の時点で人口50万人のアメリカでも有数の都市だったようです。民間のオフィスとして建てられ、鉄骨造12階建て、白黒の写真なので分かり難いですが、煉瓦色をしたテラコッタタイルで外装が覆われています。

2-4. 近代/オフィスビル (5)

一般的に世界初の高層ビルと呼ばれているのは1884年にシカゴで建ったHome Insurance Buildingです。

図2-4-4:Home Insurance Building

図2-4-4:Home Insurance Building

一般的にそう呼ばれているものの、実は建設前後(42m)も、また後に2階分増築した時(55m)にも、当時最も高いビルになったということでは無い様です。では何故そのように呼ばれているかというと、恐らくは新古典主義的な建築の立面の構成から初めて解放されたからではないでしょうか。例えば1870年にはニューヨークでEquitable Life Assurance Buildingという高さ40mのビルが建てられており、一説にはこちらが最初の高層ビルだと言われていますが、写真を見ても分かるように、どこかオスマニアン風の旧来の古典主義の範疇で語られ得るデザインとなっています。

図2-4-5:Eauitable Life Assurance Building

図2-4-5:Eauitable Life Assurance Building

一方でHome Assurance Buildingを見てみると、当時では最先端の鉄骨造を使用していることもあり窓の面積が大きく取られていますし、古典建築のボキャブラリーを抑制して、シンプルなファサードを構成している点が、旧来の様式から抜け出した新しいビルディングタイプの萌芽を感じることが出来ます。
社会的な要請とともに、当時、高層ビルを成立させるにあたっては、鉄骨造という構造技術の発展や(この建物にはまだ設置されていなかったと思いますが)エレベーターという垂直方向への移動の機械が発明されたことなど、技術面での発展も大きな要因の1つです。
本稿では、引き続き19世紀末から20世紀にかけてのオフィスビルの具体例を見ていきたいと思いますが、現在にも通ずるオフィスビルの潮流というものは、今回紹介したこの時代に求めても良いのではないかと思います。