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4-1. エレベーター (4)
人用エレベーターの普及はニューヨークやシカゴにスカイスクレーパーをもたらしました。教会などの記念碑的建築物を考えると、それこそ中世の頃から現代の超高層にひけを取らない高さの建築物が建築されていました。建築技術の観点からすると石を積み上げて高層建築は出来ないことはなかったわけです。ではそれまでなぜ一般建築に対して高層が建てられてこなかったと言えば、単純に人が階段で上ることが大変だったからです。

図4-1-3:オスマニアン建築
以前にも例に挙げたオスマニアン建築はエレベーターが発明される前後に建てられた建物が多いですが、当時は未だエレベーターは設置されていませんでした。上図のものは7階建てですが、一般的に1、2階は地上の道との関係から商業や産業用途で、バルコニーで分節されている3階以上は住宅に使われていました。その住宅の中では下階の方がより資産価値は高く、最上階の屋根裏ともなると天井高は低く、細かく部屋に分かれていて使用人のスペースとして利用されるものでした。つまり階段で上まで昇っていくのは大変なことだったので、出来るだけ地面に近い方が有用であると考えられていたのです。イタリア語では地上階の直上階のことは「ピアノ・ノビレ」(貴族の階)と言われていたくらいで、富裕層は決して上層に住むことはありませんでした。
4-1. エレベーター (3)
産業革命に伴って蒸気機関を利用したエレベーターが18世紀以降使われ始めています。最たる用途は産業用で石炭を運ぶためのものでした。地中深くから掘り出した石炭を人力で持ち上げるのには限界があったのでしょう。19世紀の前半にはカウンターウェイトを付けたものも発明されています。
それでもOTISがいわゆるエレベーターの先駆けと言われているのは、人が乗用するものを発明したからです。恐らく多くの人が想像をしたことがあるかと思います。万が一、エレベーターを吊るしているロープが切れたら、と…。OTISの発明は、たとえそのロープが切れたとしても落下しないという安全性に対する技術を発明したことでした。1854年にニューヨークで開かれた万国博覧会のクリスタルパレスで、OTISはエレベーターのロープを切り落とすというデモンストレーションをして会場を沸かせました。それをきっかけに人用のエレベーターが実用化され、OTISの初号機は1857年にニューヨーク、ブロードウェイのビルに初めて設置されました。

図4-1-2:otis
4-1. エレベーター (2)
以前にもひと言だけ書いたとおり、エレベーターが実用化されたのは19世紀後半になってからのことですが、アイディア自体は古代よりあったとされています。世界最古のエレベータ−は紀元前3世紀にアルキメデスによってつくられたとローマ時代のヴィトルヴィウスが記していますし、それ以前のエジプト・シナイ王朝時代にも近いものがあったのではないかと記録が残っているようです。どちらかと言えば、人を運ぶというよりも建築をするために巨大な石などの建築資材をどのように高い位置に運ぶかという必要にかられてアイディアがスタートしていますので、そもそもはエレベータ−というよりもクレーンが起源と考えて良さそうです。

図4-1-1:Konrad Kyeser
上図は14世紀のドイツの軍事エンジニア、Konrad Kyeserが描いたスケッチです。まだ電気も蒸気機関もない時代だったので、どのような動力でカゴを上下させるかということが課題だったことが想像できます。当然ですが人力か、あるいは家畜動物を動力として考えていたようです。
4-1. エレベーター (1)
4. オフィスビルの部分
ここまでの連載ではイントロから始まって歴史の話を連続してきましたが、これからは週毎にトピックを横断して書いていきたいと思います。
オフィスビルという建築物は、オフィス空間以外の様々な部分によってオフィスビルという全体が成立しています。「4.オフィスビルの部分」では、その各部分にスポットを当てていきます。今回はエレベーターについてです。
最近「スペインで47階建て地上200mの超高層ビルにエレベーターを付け忘れる(!?)」というニュースが話題になりました。この建物は住宅だったようですが、当然、高層ビルにはエレベーターは無くてはならないものです。日本では各種指針や自治体の条例において用途を問わず5,6階以上の建物には設置が義務づけられています。また近年のバリアフリー対応の観点から、不特定多数の人が利用する様な建築物はもちろんのこと、集合住宅においても低層だとしても設置を推奨する方針が出されています。建築設計上は竪穴区画といって防災の観点からエレベーターや階段の階層を垂直に貫く穴は区画(壁などでその他の部分と分けられること)されますので、ビルを訪れたときなど一般の利用者は階段の姿を見ることはなく、エレベーターにすぐに乗って目的の階までいくという人が殆どではないでしょうか。
3-1. ルイス・サリヴァン (5)

図3-1-4:Wainwright Building
1891年にミズーリ州セントルイスに建てられたWainwright BuildingはGuaranty Buildingと並んで初期のサリヴァンを代表する作品です。こちらの方が3年早く建築されています。プランはほぼ同じ形態ですが、立面の3層構成はこのWainwright Buildingの方がより強く出ているように見えます。実はこの「3層構成」[triepartie]は非常に古典的な立面の構成でもあります。ギリシア建築の基壇、柱部、頂部(軒蛇腹+ペディメント)といったファサードを想像すれば容易に想像できるかと思います。実はサリヴァンはこの3層構成を非常に重要視していて、高層ビルを設計する際にもこのファサードの構成を外しませんでした。その介もあって、高層ビルという新しい建築のプロポーションのあり方に対して、古代以来続く建築の構成のあり方を運用することによって、上手に安定感を与えていると言えると思います。

図3-1-5:Union Trust Building
1893年にこちらもセントルイスに建てられました。この場合は敷地は南と東に接道しています。プランニングは他の2つと殆ど変わりませんが、敷地の方位に応じて基準階は相変わらず南に凹みをつくるようにしているので、通りに凹部が面するかたちになりました。通りに面してファサードをつくる、即ち壁を建てるということが古典的な都市建築の常套手段であったとすれば、この基準階への採光を重視したプランニングは相当な冒険です。これはサリヴァンの合理主義的な側面が全面に出てきていると言えるでしょう。