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2-4. 近代/オフィスビル (2)
これまで参照していた建築物は概ねヨーロッパにあるものでしたが、ここではアメリカに視点を変えたいと思います。
というのも、例えばフランスにおいては、19世紀中頃、ナポレオン3世の治世にパリ市長オスマンによるパリ大改造が行われ、市中の建物が大幅に更新されましたが、その建築はオスマニアンと呼ばれる様式のもので、1,2階は商業的な用途が入り、主な入口は2層分の高さに渡ります。3階以上から住居やオフィスとして利用され、ファサードには水平に連続するテラスが3階に、それ以上の階層には断片的にテラスが出ていたりします。6,7階あたりからグレーのスレートで葺いた屋根が始まりますが、そこは屋根裏部屋になっていて、当時は使用人などが居住していました。
これらは建築の用途から建築が成立しているのではなくて、相変わらず社会的階層が反映したかの様な古典的な立面の構成が取られているので、現在のオフィスビルというビルディングタイプからはほど遠いものです。オスマニアンの建物は現在でも殆ど解体されることなく利用されていますが、ある種のステイタスシンボルとなっているのでリッチな企業のオフィスか金持ちの住宅として占有されているものが殆どです。
2-4. 近代/オフィスビル (1)
前回までビルディングタイプという概念と、18〜19世紀における新しいビルディングタイプについて書きました。そこでいよいよオフィスビルの成立について書きたいところなのですが、実はどの時点でオフィスビルというビルディングタイプが成立したかということをはっきり書くことは非常に難しい課題です。
1つにはこれまで書いてきたようにオフィスという空間自体はギリシアまで遡って存在を追うことができるので、完全に新しいビルディングタイプかと言われればなかなかそうとも言えないこと。もう1つの理由は、駅や美術館などの公共的な建物ではないので、その都市に1つしかないという類いの建物ではなく、多くの建物があるのでメルクマールとなる1つの建築を見いだすことはほぼ不可能だということです。
ただ、そのようなはっきりした地点を見いだせないとしても、19世紀には写真が実用化され始めたこともあり、当時の都市の風景を見ながらぼんやりとした輪郭を少しでも描いてみたいと思います。
2-3. 近代/ビルディングタイプ (10)
一般市民が図書館に入れるようになったことに対する建築的な一番大きな転換は、蔵書に加えて大々的に閲覧という機能が加わったことと言えます。それまではごく限られた人しか利用しなかったので閲覧するスペースも限定されていました。一方で市民社会が成立して市民の図書館利用に垣根が外されれば、多くの人が手に取った本を読むスペースが必要となります。
1850年前後にラブルーストによって計画されたLa bibliothèque Sainte-Geneviève(サント・ジュヌヴィエーヴ図書館)と
La bibliothèque nationale(国立図書館)の2つの図書館では、真中に多くの閲覧用机が並び、それを囲うようにして開架書庫が配置されています。それらの空間は十分に天井が高く、空間の容量がとても大きく、ハイサイドライトやトップライトからの自然光が柔らかく全体に回る様なスケールです。そのような大容量の空間を視覚的に遮ることなく、軽く屋根を支えているのが、当時の最新の技術を利用した鉄骨の柱と屋根の架構でした。実際に閲覧室で腰掛けてみると、開架の書籍に囲まれて人類の知の歴史に包まれているようです。
国立図書館の方は現在は改修中ですが、サント・ジュヌヴィエーヴの方は現在でも利用されていて、近くにある高校の学生が日々勉強に励んでいます。
2-3. 近代/ビルディングタイプ (9)
このように19世紀における新たな用途的な要求による新しいビルディングタイプの創出は必然とも言えました。また、それと同時に産業革命に伴った建築技術の発展もあり(当初はその技術は建築物には用いられませんでしたが)、先に挙げたリヨン駅の例もそうですが新しい技術とビルディングタイプの呼応がみられるようになります。ただし、リヨン駅の場合はそれぞれの場所での断片的な対応関係であり、それが全体性をつくるとは言えず、旧来の歴史主義から抜け出せずにいます。
その点、1850年前後にHenri Labrouste(アンリ・ラブルースト)が手がけた2つの図書館は、技術とビルディングタイプの対応が見事に合致しています。図書館自体は19世紀以前から大学があったこともあり、大学図書館として存在はしていましたが、現在とは違い当時は大学内に入れるのはごく一部のインテリ層であったことは想像に難くないことです。美術館と同様に図書館も啓蒙思想の波を受けて、市民に開かれた建物に向かいます。
2-3. 近代/ビルディングタイプ (8)
世界で初めての鉄製の構造物として有名なのはイギリスのIron Bridge(アイアンブリッジ=鉄橋)で、1779年に完成しており、ユネスコの世界遺産にも登録されています。錬鉄が製造できるようになったために、より大きな構築物に鉄が使われるようになったのです。
現在では鉄骨造というのは、木造やRC造と並んで一般的な建築の構造体ですが、産業革命当時は建築物の構造体としては認められず、もっぱらこの様な土木構造物に利用されていました。さきにリヨン駅(1849年)の例を出しましたが、駅のメインの機能となる線路やホームといった部分は、大空間をつくる必要もあったので鉄の構造体が活用されて屋根を支えています。一方で街からの見える部分はあくまでも旧来の建築の様式を踏襲することで、(いわゆる)美観を保つと考えたのでしょう。このように新たな用途に対応するために鉄を利用した空間をつくる一方で、旧来の石造のファサードをつくるための建物を、場所を明確に分けてつくるという構成が駅のビルディングタイプとなったと考えられます。事実、その後の欧州の終着駅の建築の設計を見ていると、殆どが同様の構成でつくられています。