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7-1. 熱環境 (4)
現代のオフィス空間を想像すると、ほとんどのデスクにパソコンが並んでいるのではないでしょうか?特にデスクトップ型のパソコンは大きな熱源ですし、それがたくさん並べば暖房がなくても冬でもさほど寒くはないかもしれません。逆にエアコンがなければ夏は地獄のようでしょう。
谷崎潤一郎が「旅のいろいろ」というエッセイの中でこのようなことを書いています。
「冬旅行をして困るのは、汽車、汽船、ホテル、旅館、電車、自動車等で、暖房の設備があるものとないものとあり、かつその温度がまちまちであるために、風邪を引き易いことである。…(中略)…尤も、ビルディングの冷房装置でもヤラレることがあるのだから…」
この文章は昭和10年(1935年)7月の文藝春秋が初出だそうで、つまりこの当時には暖房はもちろんですが、一部では冷房装置がすでに建物に導入されており、しかも現在も同じ様に効き過ぎている状態があったということは少々驚きです。
以前の稿で近代の高層ビルを成立させた技術はエレベーターであると言うことを書きましたが、高層階における風の強さや安全性を考えると窓を開けることは困難ですし、そういう意味で空調技術もそのビルディングタイプの成立に一役買っていることは紛れもない事実でしょう。
7-1. 熱環境 (3)
兼好法師の『徒然草』とより前の時代には鴨長明が『方丈記』において、自らが住む庵(小屋、東屋)について、そのつくりを具体的に書いています。
「ここに、六十の露消えがたに及びて、さらに末葉の宿りを結べることあり。言はば旅人の一夜の宿を作り、老いたる蚕の繭を営むがごとし。これを中ごろの栖に並ぶれば、また、百分が一に及ばず。とかく言ふほどに齢は歳々に高く栖は折々に狭し。その家のありさま、世の常にも似ず。広さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めて作らず。土居を組み、うちおほひを葺きて、継ぎ目ごとに掛け金を掛けたり。もし心にかなはぬことあらば、やすくほかへ移さむがためなり。その改め作ること、いくばくの煩ひかある。積むところわづかに二両、車の力を報ふほかには、さらに他の用途いらず。
いま日野山の奥に跡を隠して後、東に三尺余りの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、北に寄せて障子を隔てて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢を掛き、前に法華経を置けり。東の際に蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。未申に竹のつり棚を構へて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち、和歌・管弦・往生要集ごときの抄物を入れたり。傍らに琴、琵琶おのおの一張を立つ。いはゆる折琴、継琵琶、これなり。仮の庵のありやう、かくのごとし。」
ざっと建物の概要をみてみると…、
「歳をとって終の住処で生活しているが、往年の100分の1にも及ばない。年を取るほど家は狭くなり、世間一般のものにも満たない。広さはわずかに方丈(4畳半)で、高さは7尺(約2.1m)以内である。土台を組み、簡単な屋根を葺いて、継ぎ目に掛け金をかけてある。不都合があれば簡単に移せるように、車2台で積めてしまう。東に3尺(約90cm)余りの庇をさして、南側には竹の簀子を垂らし…」
といった風に、まさにその後『徒然草』で書かれる様な涼しげな家を超えて、寒々しいあばら屋を思い浮かべることが出来ます。
四季が美しい日本ですが、夏の暑さは遥か昔から厳しかったのでしょう。冬が厳しい欧州の建築は石を積んで堅く閉じることを旨としていますが、日本を含めて東アジア、東南アジアの開放的な、風通しの良い建築は、やはり夏の暑さに如何に対応するかということが主眼におかれていたのでしょう。
7-1. 熱環境 (2)
今から800年ほど前のことになりますが、鎌倉時代末期に兼好法師が『徒然草』の中で以下のように書いています。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。」
最初の部分を意訳すれば、
「家のつくり方としては、夏のことを考えるべき。冬はどこにだって住める。暑苦しい住居は堪え難い。」
ということです。これは火鉢で火を焚くなり、重ね着をするなりすれば暖は取れるものの、涼を取る装置的なものが当時は存在しなかったので、夏のことを考えて家をつくりなさいということでしょう。
続けて
「深い水は涼しげではないが、浅く流れている水は遥かに涼しい」
と涼の取り方を指南しています。物理的なことを言えば、水があれば気化熱で涼しさが取れると言うこともあるでしょう。実際のところ水の深さや流れと言うものはそんなには関係がない様な気もしますが、確かに何となく水が留まっているよりも、流れている方が涼しい感じはしますね。
7-1. 熱環境 (1)
7. オフィスビルの環境
「環境」というとその言葉の意味はかなり広いですが、本稿で言うところの「環境」は大まかに、建築物を取り巻く物理的な状況のことを指すこととします。とりわけ、室内環境を主に書いていこうと思います。
建築物における物理的環境はいくつかの切り口があります。それらは人間の知覚(あるいは「五感」と言っても良いでしょうか?)に対応して、熱、音、光などが挙げられ、そもそも建築物というのはそれぞれの環境を制御する装置という考え方もできます。オフィス空間は日中に長時間、滞在する場所なので室内環境がそこに居る人に与える影響は大きいものと思われます。本稿ではそれぞれの環境と、それを制御する建築の装置的な側面と併せて考察していきたいと考えています。
室内環境といって真っ先に思いつくものは「熱環境」です。熱環境を制御する代表的な装置は空調設備ですが、それが同時に扱う環境の範疇としては、湿度や換気に関連することもあるので熱環境の一言で語るのも難しいことですが、そもそも物理的環境が複合的なものですし、あまり厳密に言葉に捕われすぎずに話を進めて行こうかと思います。
6-1. 机 (10)
また余談ですが、タイプライターの登場は事務職における女性の社会進出に大きく貢献したようです。紡績工場などの作業員と比べると「タイピスト」の給与は10倍もあったようで、20世紀初頭の女性の憧れの職業だったそうです。
ところでタイプライターの登場におけるもう1つの影響は、書類が大幅に増えたことです。記録が簡単になった分、記録する事物が増えていくことは容易に想像できます。当時はタイプライターも重く、かつ紙の量も増えたために、机に掛かる荷重が増大しました。またタイプライターとともに複写機が普及したのも相まって、それらの荷重に耐えられるスチール製の事務机が普及しました。
その後、ワープロ、パソコンと事務仕事に付随する機器が発展するとともに、事務机もそれに合わせて変化していったことは、この紙面で書くにも及ばないでしょう。
さらに現在では、デスクトップ型のパソコンからノートパソコンになったことや、書類の管理が紙からデータベースへ移行していることもあり、もはや特定の机を選ばないワークスタイルが確立しています。今やカフェの小さな丸テーブルでも立派な事務机として機能してしまいます。それを思うと、1000年以上続いている「机」の流れがもはや解体されてしまったと考えても良いのかも知れません。