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4-7. カーテンウォール (8)
現代ではオフィスビルといえばガラスのカーテンウォールというイメージがある程度ありますが、その元を辿ると以前にも紹介したミース・ファン・デル・ローエに行き着くように思います。
マンハッタンで実現したシーグラムビル(1958)に先立って、1922年にはガラスの超高層ビルの高層は練られていました。このプロジェクトはガラスのスカイスクレーパーと呼ばれ、上の写真はその模型をコラージュしたものです。複雑な平面形状をしていますが、それは表面のガラスの複雑な反射によって建物の外形に揺らぎを与えるためでしょうか。ガラス張りの超高層ビルの構想が1922年に出来ていたものの、恐らく技術的な対応ができなかったか、あるいはそもそもプロジェクトの機会に恵まれなかったか。いずれにしろ、その構想が違った形で日の目を見たのは、以前にも紹介した1958年のシーグラムビルでした。
ガラスのスカイスクレーパーとは打って変わって、平面形状はシンプルな矩形平面です。それはこの建物のプログラムやマンハッタンの都市計画への対応、サッシュの技術的な対応もあってのことでしょう。それに加えて大きくイメージを異なるものにしているのは、カーテンウォールそのものの考え方が違うからです。
4-7. カーテンウォール (7)
時代は下って、こちらの建物は1935年から1938年の間に建設された「人民の家」[Maison du peuple]と呼ばれる建物で、屋内マルシェや事務所、映画上映用のホールなどのコンプレックス施設です。パリ郊外クリシー[Clichy]に位置し、マルセル・ロッズとウジェーヌ・ボードワン、ジャン・プルーベ、ウラジミール・ヴォジャンスキーによる設計で建てられました。設計者達はこの建物に先立って、世界大戦によって破壊された住宅の大量供給を目的として、プレハブの工業化集合住宅の研究を協同して続け、いくつかの集合住宅のプロジェクトを完成させています。
当時の建設現場は既製品による組合せによるものではなく、多くの部材が材料からの手作業によって作られていたことは想像に難くありません。戦後の男手の不足で住宅を始めとする建設労働者の供給不足を解消するための建築部材のプレファブ化は大きなテーマだったと思われます。
「人民の家」はそうした流れの中で設計された作品の1つで、フランスで最初に作られたプレファブリケーションによるメタルカーテンウォールの建物として知られています。外側に縦方向に付けられたマリオンなど、その意匠は現在のメタルカーテンウォールと比較しても古びないもので、意匠性においては当時に既に完成されているといっても良いかも知れません。
当時の新聞には「最初の王冠の宝石」「機械の宝石」と書かれ、センセーショナルに、そして機械賛美の非常に前向きなプロジェクトとして捉えられていたようです。
4-7. カーテンウォール (6)
さて建物の方は当時の最先端の鋳鉄による構造体です。壁は全てレンガが積まれており、表面はセラミックのタイルで仕上げられて、カラフルなグラフィックのファサードとなっています。さて、レンガ造でカーテンウォール?という感想もあるかと思いますが、あくまでもこの建物の荷重は鉄によって支えられていて、外壁のレンガはまさにカーテンウォールで自重のみを支えていることになります。一見すると旧来のレンガ造の建物にも見えなくはないのですが、壁面全てがレンガのみに見えるということがポイントです。建物全体の荷重を組積造で支えるとしたら、レンガはそれだけの耐力を持ち合わせてはいません。例えば時代を遡ってパリのルイ13世様式の建物を見てみると、主たる構造体はライムストーンの組積造で隙間を埋める形でレンガが使われており、建物の荷重を受けていません。
ムニエの工場では内部に線材で構成されたスチールの構造体があるために、外壁では自由な立面をつくることができ、このようにレンガで全体を覆うことが可能となっています。
ちなみにこの建物は水車[moulin]の建物で足元の水の流れによって建物内で水車を回していたようです。恐らくカカオを製粉していたのでしょうか。そういうこともあり構造的には窓が大きく取れるものの、建物を閉じて使用していたのですね。また鉄骨造によって建物内に大空間を実現して、水車を回す建物の容積を獲得したと言えるでしょう。
4-7. カーテンウォール (5)
カーテンウォールの素材はガラスだけではないということを先に述べていました。現在では殆ど見られませんが、レンガによるカーテンウォールというのも、19世紀につくられています。2002年に世界遺産にも登録された、フランスのパリ郊外にあるムニエ[Meunier]のチョコレート工場です。
19世紀の当時は産業革命の流れの中で登場した資本家が郊外に広大の敷地の中に工場群をつくり始めていた時代です。ムニエのチョコレートのオーナー、ジャン・アントワンヌ・ブルータス・ムニエ[Jean Antoine Brutus Menier]は、このチョコレート工場の建物とともにエッフェルの設計の倉庫やカテドラルと呼ばれる建物もつくっています。(カテドラルといってもカカオとミルクを混ぜてチョコレートにする場所だったようで、それがチョコレートにとって神聖な行為なので、こういうネーミングなのだと思われます。)
またギースのファミリステールが有名ですが、資本家達は工場だけでなくそこで働く人々のための住宅を中心とした福利厚生施設にも力を入れていました。工場を中心とした都市計画と言えば良いでしょうか。このチョコレート工場では138の住棟に312の住戸が入った住宅地を建設しました。2つの世界大戦の間の時期には伴侶を戦争で失った女性の働き口として、ムニエで働いていたとのことです。
4-7. カーテンウォール (4)
話を戻しますが、現在のカーテンウォールに通づる最古の例としてクリスタルパレスが挙げられることが多いと書きましたが、実際には1834~1836年に建設されたとされるパリの植物園の温室の方が古い例と言えます。
「メキシカン」と呼ばれるこの建物はRohault de Fleuryという建築家が設計したもので、名前の通り中南米の植物を生育するためのものでした。温室というビルディングタイプが明らかに建築物としては扱われず、話題性も低かったために、大きな議論にもならず、最古の例として忘れられてしまっているのかもしれません。一方でクリスタルパレスは万国博覧会で衆目に晒されていて、規模も大きく、ビルディングタイプとしてもより曖昧で位置づけが難しかったので、より大きく取り上げられたのでしょう。 クリスタルパレスは万博が終了後に解体され、その後再建されましたが、それも火災に見舞われて消失し、その後は再び再建されることはありませんでした。一方でメキシカンの方は現在でも当時のままの姿で、また当時のままの用途で、現在でもパリ市民に親しまれています。