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Kビル新築工事(第15回定例会議)

事業名・工事名

Kビル新築工事

日時

2014年4月23日 / 10:00~12:00

場所

トゥループロパティマネジメント(株) 第3会議室

出席者

設計監理(建築)
トゥループロパティマネジメント(TPM) : ST、MR、MT
設計監理(構造)
K構造設計事務所
施工
T社 : K(現場所長)、M(部長)、I(設備担当)、T(技術営業)
施工(電気)
H社 : F
施工(設備)
O社 : A

1.前回議事録の確認

設計 MR:
給水ポンプの能力計算については設備設計にも確認しましたが、床面積による計算方法で良いこととします。
施工A:
解りました。

2.週間工程の説明

施工 K:
2節までの鉄骨建て方が完了しています。
施工 K:
3節の鉄骨製作が遅れ気味ですので建て方の日程調整を行う予定です。
設計 MR:
中間検査については5/13の午後13:30からで決定しました。書類検査の後、現場検査になるということです。

3.質疑

【屋上レイアウトについて(4/18打合せ内容の確認)】

施工 K:
制振装置メーカーとの打ち合わせの通り、ハト小屋上の2台をRF面に下して配置しています。
施工 K:
EVシャフト上のオーバーヘッド、ハト小屋、制振装置を合わせた塔屋面積が建築面積の1/8以下となることを確認しています。
施工 K:
RF面の制振装置基礎は構造スラブより立上げの基礎とすることとなりました。
施工 K:
EVシャフト上の制振装置基礎は押えコンクリート上の基礎とすることとなりました。
施工 K:
EVシャフトの南側の防水あごに丸環を追加となりました。
施工 K:
キュービクル基礎は構造スラブより立上げの基礎とすることとなりました。
施工 K:
丸環基礎は押えコンクリート上の基礎とし、笠木はなしとすることとなりました。
施工 K:
R階配置図を参照ください。レイアウトはこのようになりますがいかがでしょうか。
設計 MR:
問題ないと思います。配管上の点検歩廊の範囲についても図の通りで良いです。
設計 MT:
キュービクルの基礎の高さをパラペット高さ以下に抑えてください。
施工 K:
解りました。
施工 F:
キュービクルから分電盤に向けては露出配管となります。分電盤から各室外機へは冷媒菅と同ルートで配線を行います。

【電気質疑について】

施工 F:
キュービクル主任技術者の選定をお願いします。
設計 MR:
ビル管理に確認します。
施工 F:
高周波流出計算書の提出をお願いします。
設計 MR:
EV業者にて計算してください。
施工 F:
書類に記載用ですが、ビル名が決まりましたらお知らせください。
設計 MR:
しばらく決定しないので、仮の名称で登録してください。
施工 F:
受電後の電気料金の請求先、工事完了後の電気料金の請求先をお知らせください。分割請求書の作成をします。
設計 MR:
ビル管理に確認します。

【自動火災報知機について】

施工 F:
1階の総合盤の位置は郵便ポスト周辺に変更として、2階から10階の総合盤の位置は消火器BOXの上部とすることで良いでしょうか。
設計 MR:
良いです。
施工 F:
表示灯の承認図を参照ください。平型もありますがいかがでしょうか。
設計 MR:
カタログか写真を提出してください。
施工 F:
EVオーバーヘッドに設置の感知器の位置についてはEV後部の階段側に設置できるか確認中です。

【連結送水管横の露出電気配管について】

施工 F:
設計ではPF菅という塩ビで耐久性がありませんがそれでよろしいでしょうか。G16の鉄管に変更の方がよいのではと考えています。
設計 MR:
鉄管に変更してください。

【各階EVホールにある照明器具について】

施工 F:
ダウンライトと非常照明の位置を再検討しないといけません。天井裏の空調機やダクトと干渉しています。
設計 MR:
解りました。ダクト配管が決定して照明器具の位置を再検討としましょう。
設計 MR:
非常照明についてはその部屋の中心でなくても設置可能か確認しておいてください。

【電気の承認図、メーカーリストについて】

施工 F:
資料一式を提出いたします。
設計 MR:
解りました。内容を確認します。

【衛生機器の色について】

施工A:
サンプルを持ってきましたが何色に致しましょうか。
設計 MR:
白でお願いします。

【トイレの便器位置について】

施工A:
施工図の位置でいかがでしょうか。
設計 MR:
女子トイレについては東側の壁面から450を便器芯とし、男子トイレは配管の取り合いがあると思うので東側の壁面から410を便器芯とすることとしてください。

【エントランスホールの石決定について】

設計 MR:
岐阜の工場で使用する石を検査したいので日程の調整をお願いします。
施工 K:
解りました。

以上

2014.5.29 作成:MT

8-3. 火災 (5)

また防火地域、あるいは準防火地域以外の地区地域で法22条地域と呼ばれるものがあります。これは防火や準防火ほど規制が厳しくはないものの、その区域内の建物の外壁や軒天を延焼の恐れのある部分を防火構造として、屋根は不燃材で葺くように定めるものです。
ここで出てくる防火構造というものは、火災に対して30分以上の耐力があるものとされています。
またここで材料に関する話が出てきます。ここでは不燃材となっていますが、その他に準不燃材と難燃材というものが存在します。これらは読んで字の如く、素材が燃えないかどうかというところが材料としての判断の分かれ目で、通常の火災時に20分以上燃焼しないものが不燃材、10分で準不燃材、5分で難燃材というのが目安です。具体的な材料としては、不燃材はガラスやコンクリート、石などで、準不燃材は石膏ボードや木毛セメント板など、難燃材では難燃合板などが挙げられます。それぞれ建設省の告示で材料が定められている他、材料ごとに必要な性能を充たしているとのことで認定を取得することが出来ます。

8-3. 火災 (4)

建物を耐火建築物にするには、「主要構造部が耐火構造である」こと、及び「外壁の開口部の延焼の恐れのある部分については防火戸あるいは防火設備とする」ことが要件となっています。
建築物の「主要構造部」は柱、梁、床、屋根、壁などを指していて、「耐火構造」であることは通常の火災時に非損傷性と延焼防止の性能を備えていて、要するに火災時に内部にいる人が避難を終えるまで建物として持ちこたえられるような構造になっていれば良いということです。具体的にはそれぞれの部位とその位置について、何時間の耐火性能があるかという規定がされていて、それぞれの場所に適切な耐火被覆などを施さなくてはならないということになります。
また「延焼の恐れのある部分」というのは隣地境界、または道路中心線から地上階3mあるいは2階以上は5mの距離の範囲内にある場所を指し、その範囲にある開口部については規定の構造としなければならず、サッシュの材料、厚さやサイズ、ガラスの種類などが定められています。これはあくまでも防火(隣地から火をもらわない)という考え方で、耐火という考え方とは違うのですが、それでも耐火建築物の要件に含まれています。

8-3. 火災 (3)

これら江戸時代に火事が起こった時の消火活動は水をかけて火を消火すること以外に、燃え広がらないように被災している建物の周囲の建物を破壊してしまうということがありました。現代においてはさすがに隣接した建物を破壊するということはありませんが、そこにあるアイディアとしては隣りにある火はもらわないようにするということです。
建築基準法では火災に対しては柱となる2つの考え方があるように思います。1つは防火、つまり火をもらわない様な建物の作りにしておくこと。2点目は耐火、火災が起こったときすぐに燃え尽きてしまわないで、中にいる人が逃げられるようにしておくということです。これら2つのアイディアは完全に独立しておらず、よく混乱するので、これらを順に整理して考えてみます。
防火に関する条項として、都市計画的な視点からの防火地域、あるいは準防火地域という地域地区の指定があります。これは建物が密集している地域に関して、建物が燃え広がらないようにしましょうということで指定されている地域地区と考えて良いでしょう。これらの地域に指定されている敷地においては小規模な建物を除き耐火建築物あるいは準耐火建築物にしなければならないという規定です。ここで早速、耐火建築物という考え方が出てきました。

8-3. 火災 (2)

明暦の大火災では江戸の大半が焼失したといわれ、江戸城の天守閣もこのときに無くなり、そのとき以来再建されていないとのことです。お堀で街からは隔てられたお城の天守閣が燃えるということなので、相当な火の勢いだったでしょう。

図8-3-1:明暦の火災

図8-3-1:明暦の火災

現在では考えられない様な火災の広がり方が伝えられていますが、一部の身分の高い人のお屋敷を除いて、瓦葺きよりも恐らく茅葺きや杮葺きのような植物を屋根に載せているようなつくりの建物が多かったでしょうし、当時は人口も過密してきて殆ど建物間の距離もとられずに建てられているように思います。当然、構造は木造だったでしょう。この明暦の火災の前、80日間ほど雨が降っていない様な非常に乾燥した状態で、そこに北西の風も強かったといいます。大火災に成る可くしてなったといっても過言ではない状況だったようです。
この火災は江戸時代初期に発生したものでしたが、その後も何度も大火に見舞われているとはいえ、ここまでの被害は出ていません。それまでの江戸は戦国時代の流れの中で軍事的なことを前提とした、つまり都市防衛などを考慮した都市計画とされていたようですが、この明暦の火災を機に新たな都市計画の下に江戸を復興させたとのことです。また、これを機に消防制度も変わって、自主的な防火組織が組まれたりもしたようです。