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Kビル新築工事(第23回定例会議)

事業名・工事名

Kビル新築工事

日時

2014年6月25日 / 10:00~11:30

場所

トゥループロパティマネジメント(株) 第3会議室

出席者

設計監理(建築)
トゥループロパティマネジメント(TPM) : ST、MR、MT
設計監理(構造)
K構造設計事務所
施工
T社 : K(現場所長)、I(設備担当)、T(技術営業)
施工(電気)
H社 : F、H
施工(設備)
O社 : A

1.前回議事録の確認

設計 MR:
1Fの避雷針端子ボックスについては2か所必要です。
設計 MR:
1Fの空調機リモコンは管理室に取付けとし、スケジュール管理でお願いします。

2.7月月間工程の説明、週間工程の説明

3.質疑

【電気工事について】

施工 H:
非常用照明と感知器が天井溝の幅100に納まりません。
設計 MR:
納まりは設計で再度検討します。
施工 H:
事務室のベース照明が設計では850LXですが、器具を変更すると机上面で1000LX以上となりますがいかがでしょうか。
設計 MR:
設計図の通りの器具でいきたいが検討します。
施工 H:
キュービクル、盤の製作に入りたいのですがよろしいでしょうか。
設計 MR:
確認しました。良いです。
施工 H:
弱電機器についても発注をしたいですがいかがでしょうか。
設計 MR:
確認します。
施工 H:
主任技術者の件はどうなっているでしょうか。
設計 MR:
当社ビル管理の担当者と直接やり取りをしてもらうように手配しています。

【防水について】

設計 MR:
屋上のパラペットアゴ上は、ウレタン防水で色はグレーでお願いします。
設計 MR:
機械基礎の屋上スラブと一体のものについては、設計で検討します。
設計 MR:
バルコニーの防水は塗布防水で色はシルバーグレーとします。

【石の割付について】

設計 MR:
出隅納まりについては基本的に設計図の通りとし、Y8通り付近の出隅のみ5mm面の入り面で留め加工としてください。
設計 MR:
郵便ポスト、火災報知器、カードリーダー廻りの納まりは保留とする。そのほか全体の割付については良いです。
設計 MR:
ギャラリー内の足元寸法についておかしいので確認してください。

【2~10Fのエアコンリモコンについて】

施工 K:
ワイヤードとしてよろしいでしょうか。
設計 MR:
良いです。

【サンプル決定について】

設計 MR:
キッチン人造大理石、樹脂化粧板、フレキシブルボード、ソフト巾木、長尺シートの品番を決定しました。
設計 MR:
タイルカーペットについては、入居テナントが決まり次第、テナント決定とします。タイルカーペットを別途工事扱いに変更とします。

以上

2014.7.7 作成:MT

5-4. カーペット (10)

記録として残っているレッドカーペットの最初は、1821年に米大統領のジェイムス・モンローが河岸に着く時に敷かれたというものがあります。また、1902年にニューヨーク中央鉄道で乗客を案内するために敷かれたという記録があり、近代のレッドカーペットのもてなしはこれが起源だと言われているようです。
ちなみに日本でも神社でお祝い事があるときでしょうか、赤いカーペットが敷かれていることがあります。この赤絨毯も意味的には同じようなものなのでしょうが、どういう経緯でこのようなことをするようになったかは筆者は調べられませんでした。

図5-4-9:神社の赤絨毯

図5-4-9:神社の赤絨毯

何はともあれ、このように歴史の長い間に渡って、カーペットは高級品、あるいは権威や歓待の象徴でありました。近代になってこれらの意味は捨象されて、機械化された生産により価格も下がり、実際的な建材となりましたが、背後にはこのような歴史が会ったことを思うと、カーペットもまた違った眼差しでみれるのではないでしょうか。

5-4. カーペット (9)

ところで権威の象徴としてカーペットやタピスリーが扱われていた例を先に述べましたが、現代においてもカーペットが特殊な意味をもつ場面があります。それは「レッドカーペット」です。
先日、イギリスのフィナンシャル・タイムズで、「中国の李克強首相の訪英前に、中国側が『李首相を迎える際、ロンドン・ヒースロー空港に敷かれるレッドカーペットが標準に達していない』とクレームをつけた」という記事が掲載されたそうです。一般的にぱっと想像するのはアカデミー賞の授賞式などで、俳優が会場に入る際に入口から車の乗降口まで敷かれるものですね。

図5-4-8:アカデミー賞

図5-4-8:アカデミー賞

これらの例は要人を迎える、歓迎の姿勢を表現するためのもので、権威の象徴としてのカーペットに近いニュアンスのものです。ただ、なぜ「レッド」カーペットかというところは、ひとつの起源が通説のようです。時代は古代ギリシアまで遡って、紀元前458年にアイスキュロスによって書かれた「アガメムノン」の内容に入ります。
アガメムノンがトロイ戦争から戻ってきた時に、妻であるクリュタイムネストラが彼に赤い道の上を歩くように進めたところ、そのような豪華な道の上を歩けるのは神々だけだ、として断ったという逸話があります。そこでは明らかにカーペットとは書かれていないものの、その後「赤い道」をつくるためにレッドカーペットがつくられたと解釈することはできます。

5-4. カーペット (8)

先の「貴婦人と一角獣」は15世紀末にフランスで発注されてフランドルで織られたと書きましたが、その後1615年にはManufacture de la Savonnerie(石けん工場の跡地につくられたので「石けん工場」という意味)がパリのセーヌ河岸、現在のパレ・ド・トーキョー付近に建設され、カーペットやタピスリーが生産されるようになりました。設立者の一人であるピエール・デュポンはトルコを旅行してその際に学んだ技術を持ち帰り、”ルヴァン風ヴェルヴェットカーペット”の生産に成功しました。その後、各世代のフランス王、アンリ4世、ルイ13世、ルイ14世らによる国家的な後押しによって大いに発展し、フォンテーヌブローやヴェルサイユといった居城の床や壁を彩っていたようです。

図5-4-7:フォンテーヌブローの寝室

図5-4-7:フォンテーヌブローの寝室

ところで全ての織物に言えることは、染めの関係で織物工場は水辺にある必要があります。Manufacture de la Savonnerieは当初はセーヌ河岸にありましたが、組織を改編するようなかたちで、1826年には同じくパリ市内のゴブラン[Goblins]に移動しています。ゴブランにもゴブラン織りと呼ばれる織物が生産されていて、その歴史は16001年まで遡ります。現在も5区にゴブランという地名があり、工場が残っています。現在は暗渠化されていますが、以前はBievreと呼ばれるセーヌに流れ込む小さな川があり、その川の水を当てにして織物がつくられていました。

5-4. カーペット (7)

図5-4-6:貴婦人と一角獣「視覚」」

図5-4-6:貴婦人と一角獣「視覚」

これら「貴婦人と一角獣」は中世美術館に展示されているので製作年代が中世かと思いきや、1484年から1500年にかけてフランドルで織られているそうです。15世紀末にはイタリアでは既にルネサンスが隆盛を極めていて、1485年にボッティッチェリが「ヴィーナスの誕生」を描き、16世紀に入ったあたりにはミケランジェロが「ダビデ」像を作っているような時代です。フランスでの本格的なルネサンスの到来はフランソワ1世がレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスに迎え入れた1516年以降と位置づけられています。このような周辺国との関係を考えると、芸術的には少し流行からは遅れているとも言えるフランス芸術の中で、ルネサンスが到来する直前の15世紀末ということで中世美術館に展示されているのでしょう。
ところでこのタペストリーの発注者は、タペストリー内に描かれている紋章からフランスリヨンの貴族、ル・ヴィスト家だとされています。しかし先述の通り、製作されたのは上述の通りフランドル地方です。当時のフランドルは紡績産業の一大拠点だったようで、輸出入も多く行われていたこともあり、イタリアと並ぶルネサンス芸術が発展した地として知られています。「アルノフィーニ夫妻の肖像」で有名なファン・アイクやヴァン・デル・ヴェイデン、メムリンクなど多くのルネサンスの画家が誕生している地です。つまり技術的なレベルではルネサンスの水準まで達している地で製作されたものの、発注元であるフランスにおける中世的な主題を描いた、というその組合せがうまく作品として昇華されたのでしょう。