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4-14. 窓 (4)
窓と扉の差異を考えてみましたが、窓や扉と壁の差異も考えてみましょう。まず始めに思いつく要因は開閉が可能かどうかです。材料がなにであれ、開閉が可能であればそれは窓なり扉なりと考えられるでしょう。しかしここで思いつく反例として嵌め殺し窓やカーテンウォールが考えられます。カーテンウォールがPCやALCで出来ている場合、それは明らかに壁なのですが、ガラスとなると法的にもカーテンウォール(壁)と言いつつ開口部として扱われます。はめ殺し窓も透明な素材、あるいは半透明でも透光性があればそれは開口部として位置づけられるでしょう。つまり開閉が可能であるか、あるいは視線の内外を視線の関係を何らかの形で連続していることが壁ではなく、窓あるいは扉の条件であると考えて良いかもしれません。(実は大理石などは光を通す素材なので、大理石の壁を考えるとこの考え方もかなり際どいところではあります。)
さて先に例に出したピラミッドを思い返してもそうですが、窓は必ずしも建築になくてはならないということはありません。逆に扉は外部空間から内部空間に入っていくためには必ず必要なものです。ギリシアのパルテノン神殿を思い返してもそうですが、列柱の奥には壁で囲まれた内部空間があるのですが、そこには出入りの扉はあるものの窓は設えられていません。
よりプリミティブな例で竪穴式住居を思い出しても同様で、出入りをする部分以外には開口部はなく、窓を作るようになるのはもう少し後になってからということが考えられます。
4-14. 窓 (3)
「窓」や「扉」は2つの世界を隔てる壁についているものです。「運命の扉」や「心の窓」と言ったような慣用的な表現があるように、物理的な隔たりを繋ぐということもさることながら観念的な事柄を表現する際にも「窓」や「扉」がでてきます。例えば心理学で「ジョハリの窓」という窓をメタファーにしたコミュニケーションモデルがあるのですが、「自分/他人」「分かっている/分かっていない」をマトリクスに組んだ「対人関係における気付きのグラフ」というものだそうです。
直接的には建築の窓とは関係はありませんが、このように世界を繋ぐというところにおいて窓はメタファーとして多用される、象徴的な意味作用をもった建築の部位だと考えられるでしょう。
さてここで一応、窓と扉の違いを簡単に整理しておきたいと思います。窓も扉もガラスで出来ていて視線を通すこともあるし、あるいは木の板で出来ていて視線を通さないことはあり得ます。何が最たる違いかを考えると、そこに人の往来があるかどうかだと考えられないでしょうか。それは物理的な差異ではありません。掃き出し窓と呼ばれる床に窓の下端が付くタイプの窓がありますが、これは読んで字の如く箒で室内を清掃する際にゴミを外に掃き出すための窓です。ただし、その窓が大きくて明らかに人の出入りが出来るようなモノもあるでしょうが、その場合は出る先はもちろん外部ではあるものの、ベランダであったり、軒下の空間であったり、外だとしても敷地内のどこかであったり、それより外側にさらに外部空間が考えられている場合だと思います。そういう意味で外部とのひとの往来がある開口部が扉であり、往来がないものが窓だと考えられます。
そうするとこういう意見が聞こえてきそうです。窓からでも外に出れるではないか、と。当然、そういう可能性は考えられますが、それは泥棒であったり例外的な事例であって、建築的な意図としてはそのモノの有り様は本来的なモノからは外れているので、考慮しなくても良いでしょう。
4-14. 窓 (2)
テントとピラミッドの例で考えて、「内側」と「外側」なり、「こちら側」と「あちら側」なり、空間を何らかの形で分節しているとそれは建築であると、ここでは仮に考えておきます。その分節をしている垂直の要素が壁であり、水平の要素が床や屋根になります。ここで「こちら側」と「あちら側」という関係と「内側」と「外側」の関係を考えるとそれは「場」が囲われているかどうかであると考えて良いでしょう。分節によって1つの場が2つに分けられているのですが、それが隣接するような関係であれば「こちら側」と「あちら側」の関係になり、包含関係にあれば包含される側が「内側」となり、包含する側が「外側」となります。空間の関係は究極的にはこのような2つの関係に収斂していきます。位相幾何学でより詳細な議論はあるのでしょうが、とりあえずの議論はここで止めておきます。
ここでようやくこの稿の本題に入ります。抽象的な議論からまた具体的な例に戻ると、これら隔てられた2つの場を改めて繋ぐモノが建築物では建具とよばれる、窓であり扉となります。
4-14. 窓 (1)
4. オフィスビルの部分
以前にも書いたことがあるかもしれませんが、「建築」の定義の一つとして「空間や場所を隔てること」ということが考えられます。置き家具などと比較すれば分かりやすいかもしれませんが、家具はある空間の中にあるものであって、現象として空間の質を変容させる可能性はありますが、空間そのもののかたちなどを変えることはないかと思います。
例えばキャンプ場にテントを張るとします。そうするとテントの内側である「内部」とその外側である「外部」が必然的にできることになり、これはれっきとした建築行為であると言っても良いでしょう。しかし、その三角錐の形状をしたテントの中に土がいっぱいに詰まっていてその中に入れないとしたら、そのような物体(土入りテント)をキャンプ場に置くこと(それはもはやテントを「張る」とは言い難い)は建築行為であるとは言い難いところです。なぜならそこには「内側」が存在しないことになり、つまり相補的な関係である「外側」もないことになるからです。それならばピラミッドはどうでしょうか?ピラミッドは教科書的な西洋建築史の最初期に書かれているもので、西洋建築のルーツとして位置づけられている立派な建築物です。しかし、内部は殆どなく、非常に大きな三角錐のボリュームの中に相対的には微々たる内部空間が作られている程度です。ここで形は相似形であるし、僅かな内部空間があるからテントと同様の意味で建築であるとは言えないでしょう。ピラミッドの場合はその規模の大きさから、身体のスケールを超えてそのモノのこちら側とあちら側を分けている、簡単に言えばあちら側が見えない、というレベルで空間を分断しているので、それは立派な建築だと考えられているのではないでしょうか。
9-4. NEWS X (9)
このような周辺環境を受け止める形でこのNEWS Xは設計されています。積極的に外に向かって開いて、一般的には基準階が積層されるオフィスビルのインテリアを周辺環境と柱、サッシのリズムによって、階を跨いでインテリアが多様になるように意図しています。下に10階から2階までの同じアングルの写真を並べてみます。
この写真の角度では分かりづらいですが、10階では斜めの柱がまとめることによって、コーナーと正面から景色が抜けるようになっています。これは10階においては完全に廻りの建物の頭越しに空所があるので、最大限それを享受しようという意図があります。それが9階になると比較的均等に柱が分布しているためにあまり特定の方向性が感じられず、全方向に均等に向いているような感じです。8階になるとコーナーに柱が集まってきているので、正面性が非常に強くなってきています。このフロアまでは空所をそれぞれ違う形で占有しようと考えています。
その下、7階から4階までは徐々に建物に囲まれてくるので、向かって右側の開口も小さくなり、左側も隣の建物の窓が迫っているためにフィルムで視線を遮っています。純粋に正面だけに開く格好になっていますが、先述の通り向かいの建物が斜線制限で段状にセットバックしているので、階毎に前面との距離が変化していくのが良くわかります。
2、3階では今度は向かって左側は開口部として抜けていて、また正面の建物の重厚な石の作りを借景しています。2階では足下まで広がる開口部が前面の道路との距離を縮めて、とても街に近い環境を作り出しています。また斜め柱の角度も他の階よりきつく、柱の存在感が生々しい者となっています。
このように開口部と柱によって、単純な基準階が並びがちなオフィスビルに周辺環境と相応する多様性を伴ったインテリアとしています。