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この考え方に則った時には、必ずしも世界遺産に登録されている建物が「完全性」や「真正性」を保持しているとは考えられないかもしれません。なぜなら建築当時の姿を必ずしも「完全」な形で維持しているとは考えにくいからです。むしろ伊勢神宮のように式年遷宮をしていた方が、建築当時の姿を今でも見ることが出来る保存の方法なのではないかとも考えられる訳です。
大幅に話がずれましたが、このように日本には穢れを避けて、真新しさに価値を見出す傾向はかなりあるように思います。パリでは19世紀に建てられたオスマニアンの建物は現在ではつくることが難しいですし、そのことで不動産的な価値も高くなっていますが、日本で築150年なんてことを考えてみると全く価値を見いだされないでしょう。不動産の世界ではやはり新築が最も価値のある状態で、以降は価値が減衰していくという考え方がなされています。
そんな建物において少しでも真新しさを取り戻す方法は、昔で言えば障子や襖を張替えて、畳を張替えることですが、現代の賃貸物件においては壁紙を張替えるということに繋がるわけです。壁紙を張替える一方で、以前は張替えられていた建具は木製なり鉄製になったり、で張替えがなされない形に変わった(逆流した)のはなんだか不思議なものです。
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ところで話がずれますが、日本人の真新しい物好きは現代的な感覚というよりも、脈々と受け継がれているエスプリだと考える方が妥当なようです。欧米の価値観との違いを示す例として度々あげられるのが、ユネスコの「世界遺産」の価値観との距離です。当然、「世界遺産」(特に歴史遺産)の認定の枠組みは西欧的な観念から固められています。その認定要件を満たすためにはその価値の「完全性」と「真正性」を証明されなければいけないのですが、一般的に建造物の場合だと「真正性」を満たすために、それらを構成する材料がオリジナルでなければならないと言われています。
その価値観と対立するのが神道的な発想であり、20年に一度建て替えられる(式年遷宮)伊勢神宮です。伊勢神宮の場合は木造建築なので腐食などで耐久性を維持できないからといった技術的理由が与えられることもありますが、一方で年月が経つというのは「穢れ」であるということから常に清廉性を維持するために遷宮をすると考えられます。法隆寺の場合は世界最古の木造建築物として世界遺産に登録されていますので、必ずしも技術的に耐久性を維持できないという話ではないのです。
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日本人と紙というと古くから長い付き合いがあるようなイメージがありますが、これを壁紙に限定して言えば、先述の通り、伝統的な日本家屋においては襖や障子、屏風などに和紙が使われることあっても、壁に貼るということに関して言えば茶室を除いてそれほど一般的な作法ではなかったようです。それが現在のようにここまで普及したきっかけは、意外にも東京オリンピック時にホテルの建設ラッシュがあり、その室内に設えとして使われたことだそうです。そしてその後には住宅公団に採用されることとなり、全国的にスタンダードとして普及することになったとのことです。東京オリンピックと言えば1964年でちょうど50年前で、新幹線や首都高が開通するくらいの時間感覚で壁紙が普及したとは不思議な感じです。壁紙もいわば高度経済成長の隠れたシンボルなのかもしれません。
現在では言わずもがな、住宅を始めとしてオフィスなどでもよく使われますが、その大きな理由はコストパフォーマンスとメンテナンスが楽であることでしょう。特に賃貸物件でいえば入居時に壁紙が張替えられているか?ということが注目されますが、新しいもの→清潔感と考えがちな日本人には壁紙を張替えるのは障子や襖の張替え、畳の張替え感覚でなされるのが良いのでしょう。
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ところで壁紙の歴史を探ってみると必ず当たるといっても良いのが「金唐革紙」です。
上図は旧岩崎邸のものです。ぱっと見での豪華絢爛さといったら、現在の壁紙のイメージとはずいぶん違うものです。元々は紙ではなくて、宮殿や邸宅の壁を装飾する金唐革が江戸時代に西欧からもたらされました。唐草や花鳥といった文様を革に型押ししたもので、そこに金泥などを施したものです。スペイン産のものがオランダを経由して輸入されていたのですが、貴重かつ入手困難なものだったのでその代用品として和紙を使って製作されたものがこの金唐革紙だそうで、1684年に伊勢で作られるようになったと言います。いわば金唐革のまがい物として作られ始めました。ここでは決してネガティブな意味でのまがい物ではなく、当時の襖や屏風といった和紙を使った製作技術や和紙そのものの紙質をコントロールする技術の賜物として、生産が可能になったと考えた方が良いでしょう。
明治時代には大蔵省印刷局が中心となって製作し、ウィーン万博やパリ万博で好評を博し、西欧から受け入れたものが形を変えて西欧へ輸出されるというところまで成功したようです。イギリスではバッキンガム宮殿にも使われている個所があるとのことです。日本でも鹿鳴館や上述の旧岩崎邸などの邸宅に使用されていましたが、昭和初期以降徐々に衰退し、昭和中期には生産が中止されたとのことで。現在でも実際に壁紙として使われている建物は数えられる程度になっているようです。
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さてこれらの壁紙のデザインですが、先に示した通り当初はデューラーが描いたようなものや、タピストリーの代替品らしくタピストリーのデザインを引用したものが多かったようですが、18世紀には絵画のような色が鮮やかでパノラミックな壁紙が作られるようになりました。
上図は1804年にフランスで製作されたものでsauvages de la mer pacifique(太平洋の未開)と題されたものです。壁紙ではありますが絵画のようなのでpaper paintとも呼ばれ、壁紙というよりももはや壁画と考えてよい代物です。
このような流れの中で現代の壁紙のルーツを作ったと考えても良さそうな人物が、アーツ・アンド・クラフツという運動を展開したウィリアム・モリスです。産業革命以降、粗悪な工業生産品が世の中に出回るようになりましたが、そのような状況に対して中世以来の手仕事による工芸を復興させ、生活と芸術を統一しようという目的で活動したのがアーツ・アンド・クラフツです。それ故、対象となるものは生活に身近なもので、書籍や家具、ステンドグラスなどとともに壁紙のデザインがひとつの運動の対象となりました。
具体的には動植物をモチーフとした柄で同じパタンを繰り返すものです。壁紙に限らずアーツ・アンド・クラフツでデザインされたものは現在でも古びない洗練されたもので、その後のアール・ヌーボーの運動に大きな影響を残したと言われています。