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5-7. 鉄 (15)
さてここで一旦、鉄骨造の歴史は止めておくとして、現代の建築における鉄を少し考えてみたいと思います。
建築における鉄ということで真っ先に考えられるのは構造材としての鉄です。先にも述べましたが、現在の日本では木造、鉄筋コンクリート造(RC造)と鉄骨造の3つが主な構造形式であると言っても良いでしょう。木造については耐火性能などの観点から、規模的に2階、3階建て程度までしか一般的には建ちません。木造の集成材を使ったドームなどはありますが。(ちなみにヨーロッパでは大断面集成材で燃え代を十分に残すことによって、木造で中層建築物を建てる試みなどはあるようです。)つまり一定規模以上の建物になるとRC造か鉄骨造、あるいはそれらを複合した鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)のいずれかを構造形式として選択するということになります。
鉄骨造とRC造のどちらを選択するのかという点は、それぞれのメリット、デメリットを鑑みての判断になることかと思います。
5-7. 鉄 (14)
このような空間の機能的要求はそれまでのビルディングタイプにはなかったものです。敷地いっぱいの80m x 15mの平面に屋根を架けようとすれば基本的には短手方向に梁を渡そうとします。これを旧来通りの組積造でやろうとすると、15mのスパンを2分割あるいは3分割することになりますが、ホールの真ん中に必然的に出てくる柱も石の太く重苦しいものとなるのは間違いないでしょう。ここでラブルーストは鋳鉄の細い柱とアーチ型の梁で短手を2分割することで非常に軽快で明るいインテリアを実現しています。外周部の柱は石のままとして、アーチから流れてくる開く方向の力を重たい石で受け止めています。またこのような架構のおかげで15mもの高さの天井高さを確保できているために、2階分の高さのある本棚のさらに上部で、アーチ上のハイサイドライトを四方に取ることに成功しています。
ここまでずっと先史以来の鉄と人とのつながりを俯瞰してきて、一般的な道具や建築の部分については鉄もそれなりに使用されてきたことを書いてきましたが、やはり建築としては構造体に鉄が使えるようになったということが、19世紀のその時代の潮流とともに、建築の歴史におけるひとつの大きな革命だったと言えるかと思います。
5-7. 鉄 (13)
日本の図書館と比較して大きく違うと思われるのは閲覧席の充実ぶりです。この2階の閲覧スペースには500-700席があり、壁際に廻された開架書庫の量と比較するとかなり席の割合が多いことが分かります。日本と比較すると現在でもフランスでは学生に限らず多くの人々が図書館で勉強あるいは読書をしている姿を目にします。現在でもこの図書館は非常に使われていますし、ポンピドゥー美術館に併設された図書館なども入場するのに行列ができるほどです。その理由は当時の状況を想像するしかないのですが、恐らく電灯などなかった時代において、室内で明るくなければ勉強はできないわけで、一部の貴族が住んでいる邸宅ならばまだしも、一般の学生が住んでいるような住宅には天井高が低く、日当りの悪いような建物がパリ市内には多く、そのために勉強する場所はあくまでも学校である、というニーズが高かったからではないか、と想像します。事実、筆者も5区に借りていたアパートは17世紀に建てられたもので、階高、天井高は低く、組積造のため縦長の窓しか空いておらずに、決して日光がさんさんと入ってくるような住宅ではありませんでしたし、日当りを求めるならば上階に住まなければなりません。(一方でエレベーターはないわけなので、上階も決して心地よい場所だとは言い切れないのですが…。)
そういうわけで自然光でも勉強ができるくらい明るい閲覧室が求められて、かつその数は出来るだけ多い方が良いだろうと考えた時に、この敷地いっぱいに気積の大きい空間を構想するのはとても理にかなったことです。
5-7. 鉄 (12)
パリ5区と言えばカルチェ・ラタン[Cartier Latin]と呼ばれるエリアでパリの中でも大学などが集中してあるような地区です。このカルチェ・ラタンの「ラタン」はラテン語という意味で、中世には大学と言えば神学だったので、神学の生徒がこのエリアに集まりラテン語で学習していたことからこのようなネーミングがついています。
このように文教地区のような場所に建ったのがこの図書館ですが、図書館というビルディングタイプを考えると、それまでは宮殿や貴族の邸宅、教会や修道院などに付属していたようなので、図書館というよりも図書室という性質のものだったように思います。つまりは単独の建物としてではなく、あくまでもメインの建物の付属的な位置づけで建てられていたという風に考えられます。一方でこのサント・ジュヌヴィエーヴ図書館は、一応は単独の図書館として建てられた、少なくともフランスでは最初の例であるということです。(ここで「一応」と書いたのは、この建物の隣にはフランス有数の進学高校として有名なアンリ4世高校があり、1796年に開校していることもあるので。)
このようなバックグラウンドを俯瞰した後で、建物の構成を見てみます。じつにシンプルな構成で平面的には通りに面して細長い長方形で直方体のボリューム、その背後に階段室のボリュームが飛び出しています。1階はエントランスホールとその両側に配された閉架書庫で、飛び出したボリュームの階段を経て2階に上がると閲覧スペース兼開架書庫という構成です。
5-7. 鉄 (11)
このように18世紀鋼板から当時では建築とは言い難い構造物に使われてきた鉄ですが、19世紀中頃になるころには徐々に建築物にも使われるようになってきています。性格にどの建物が始めに鉄が構造体として使われたというのは筆者には断定できませんが、建築として鉄を使うことによってそれまでの建物では出来なかった空間を獲得できたという意味でエポックメイキングな作品として、いつも真っ先に思いつくのはパリで1851年に竣工したアンリ・ラブルースト[Henri Labrouste]設計のサント・ジュヌヴィエーヴ図書館[Bibliotèque Sainte-Genevieve]です。
パリ5区のパンテオンの広場の一角に建てられているので、観光でパンテオンを訪れたことのある人ならばきっと目の脇の方で視界には一度は入っているはずの建物です。サント・ジュヌヴィエーヴはパリの守護聖人の一人として位置づけられている聖人で、この建物が建つ敷地はセーヌ川から坂を上った丘の上に位置しています。今では建物が建て込ん90でいるので見る影もありませんが、もとは[Montagne Sainte-Genevieve]サント・ジュヌヴィエーヴ山と呼ばれているような場所で、パリを見下ろす周辺よりも高い場所になっています。現在でもパリ市内の比較的見通しの良いところからパンテオンのドームの上部が見えるのは、この位置関係によるものです。
ちなみにパンテオンは1790年頃に竣工していますが、元々はサント・ジュヌヴィエーヴに献堂するためにスフロによって設計されたものです。その後、フランス革命を経て偉人を埋葬する墓所として位置づけられた後、ナポレオン時代に用途の変更があったものの、現在でも霊廟として位置づけられています。本人の意思は定かではないですが、ビクトル・ユゴーやエミール・ゾラ、アレクサンドル・デュマといったフランスを代表する作家、キュリー夫妻のような科学者、軍人、政治家などの墓所となっています。