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*
見解は
持たなくてすむなら
持たないほうが
いいのだが
火にとびこむ
ガのように
持たなくていい
見解を持つ
まるで
あわれな
存在証明のように
まるで
あわれな
遺伝子を
精算するように
*会議
連絡会議にせよ、
問題究明会議にせよ、
問題解決会議にせよ、
会議の本質はコミュニケーションである。
伝えるべきものは何なのか、
何故なのか、
本当にそれで良いのか、
より大切なものはないのか、
相手に伝わるのか、
伝わったのか。
質問をしても返事が無い、
ということはどういうことか。
コミュニケーションの信頼関係は、
そもそも有るのか無いのか。
テーブルの上に腕を置き、
身をのりだして聞きあるいは話を、
しなければいけない。
発言にかかわる業務について、
第一人者でないかぎり
発言は演説であってはならない。
自分の知らない世界が、
多く存在することを、
前提として、
話をしなければいけない。
従って自身の見解の演説はあり得ず、
常に質問形式の発言とし、
他の人の発言を引き出し、
他の人の言葉を借りて、
表現されなければいけない。
自らへの問いかけと、
他の人への問いかけは、
同質でなければならない。
テーマを常に、
意識する必要がある。
自らのテーマ、
自らの組織のテーマ、
部門のテーマ、
社のテーマ。
問われ、
すぐ答えられなければいけない。
部分で考えると、
解決方法はいくつかある。
全体で考えると、
多くはない。
迷う時、
全体の帳尻に合う仕組みが、
必要である。
1人で考えてはいけない。
全員で考える。
メンバーの言葉をテコに、
自らの思索を掘り下げ、
バリエーションについて、
議論する。
共有できなければ、
力は生まれない。
組織は、
共につくれるか
メンバーを外すか、
メンバーから外れるか
いずれかでしかない。
まず、
できると信じる。
才能は意欲でしかないのだから
信じることができれば、
たかをくくって、
大丈夫である。