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わたしが感動した素晴しい詩を紹介します。

詩集『いきていてこそ』堀江 菜穂子

 

はたちのひに

はたちのひ わたしはいきていた

うまれたときに おもいしょうがいをおってしまい

わたしは はたちまでいきられないだろうといわれていた

 

そんなわたしを りょうしんは

ふびんさと もうしわけなさをもって

たくさんのあいじょうをそそいでくれた

 

このいえで ゆいいつのひとりむすめは

かぞくみんなからあいされて せいちょうした

おおきくなるにつれ

じぶんが 人とはちがうことにきがつきはじめた

 

ほかのこどもたちが

あたりまえにできていることが

じぶんにはなにひとつ できなかったからだ

 

わたしは じぶんとかぞくをうらんだ

どうして じぶんばかりが

こんなからだなのだろう

そればかりおもっていた

 

わたしの心はそのことでいっぱいになり

そしてちゅうがくせいのころ

ばらばらにくだけた

 

わたしの心に なん人ものわたしがうまれた

わたしのじんかくは

わたしだけのものでなくなってしまった

 

わたしであってわたしでない

とてもこんらんするまいにちがつづいた

そんなころに じをかくことをおぼえた

 

わたしにとって じがかけることは

いままでできなかったことの

なににもまさるよろこびだった

 

じをかけるようになり じぶんでないじんかくが

じぶんとして ひょうめんかしてきた

それはもともとのわたしにとっては

ものすごいきょうふだった

 

りょうしんは べつじんかくのわたしがかいたことを

わたしのことばとしてうけとめていた

 

それはわたしにとって

りょうしんがうらぎったこととおなじだった

どうにかして

いまのわたしをわかってほしかったが

どうにもできないひがつづいた

 

あるひ しょうがいしゃの人のかいたしが うたになり

人々にひろまっているニュースをみみにする

これだとおもった

 

じぶんのしにしてはなせば

べつのじんかくにもさとられなくてすむ

 

そうおもったそのひから

じぶんのしには じぶんのなまえでしょめいをし

べつのじんかくには べつのなまえでしょめいをした

するとわたしのしは じんかくによって

はっきりとちがいがあらわれた

 

こうげきてきなじんかく

こどものじんかく

そして わたしじしんのじんかく

どれもわたしであって わたしではなかった

 

しをかくにつれ

はりさけそうな心がかいほうされていった

なんぺんもかきつづって からっぽになり

またすぐいっぱいになった

 

それがくりかえされ わたしは

べつじんかくとの

つきあいがわかってきた

 

しをかくと あいてのこともみえてきた

そしてあるひ そのたのじんかくはとざされた

それは まったくのじぶんじしんのしょうりだった

 

わたしはいま ひとりのじんかくとしていきている

それはたくさんのしをつづってきて

心をじぶんで はあくできたからだ

 

いま はたちのひをむかえることができたのは

たくさんのあいじょうにつつんでくれた

りょうしんのおかげであるのはもちろんのこと

たくさんのしが わたしじしんを

いかしてくれたということに ほかならない

 

しは わたしがいまのわたしになるための

たいせつなとおりみちだった

 

しをかくことは

わたしじしんをかいほうするこういだった

 

わたしのしをよむすべての人たちに

わたしがたちなおったように

あきらめずにいきてもらいたい

 

 

せかいのなかで

 

このひろいせかいのなかで

わたしはたったひとり

 

たくさんの人のなかで

わたしとおなじ人げんは

ひとりもいない

 

わたしはわたしだけ

それがどんなに ふじゆうだとしても

わたしのかわりは だれもいないのだから

 

わたしはわたしのじんせいを

どうどうといきる

 

 

いきていてこそ

 

いまつらいのも

わたしがいきているしょうこだ

 

いきているから つらさがわかる

しんでいったともだちは

もうにどと ともにつらさをあじわえない

 

いまのつらさもかんどうも

すべてはいきていてこそ

 

どんなにつらいげんじつでも

はりついていきる

悪人であるという自覚

反社会勢力は、社会を悪くすることは出来ない。誰もが悪いことだと分かっているからだ。

自分は悪いことをしないと信じている人、このような人こそが、社会を悪くする。始末に負えない。自分が悪事を働いていることに気がつかない。刑法に触れなければ悪ではないと思う。理由がありやむを得ないから悪ではない、他の人もしているから悪ではない、という回路である。自分の本質が悪人であることに気がつかない。何が悪であるのか分からない。教えてあげると、生きるためだからやむを得ないと正当化する。お釈迦様によれば、人は全て悪人である。自分が得をするように立ち回り、社会の悪を隠蔽し、社会をさらに悪くする。悪をしてはいけないと言うのではない。人は悪を行うために生まれるのだから、何をしてもいい、悪人であると自覚するなら。ただ、悪であるという自覚が無ければ醜い。糞より醜い。

管理職

どうしましょうか、という質問は管理職としては知能が低すぎて罰金をとりたい。専門家はこう言っていますが、でも、わたしはこういう理由でこのようにしたい、あるいは、わたしもそう思いますので、そのようにしたい、よろしいでしょうか、と質問するのが普通で普通の知能があると認める。

邑社会のならわし

官業に近い邑には、不思議なルールとか慣わしがある。公益相撲協会、公益体操協会、公益レスリング協会、官僚の邑、公務員の邑、裁判の邑、巨大企業取締役の邑、他。一般の社会人から見ると不合理なことが、それなりの事情があるからそうなっているのです、と答える。東芝の代々の代表取締役もそれなりの事情があり犯罪を引き継いできた。驚くべきことに彼等は自らが犯罪者であるという意識が無く、むしろ被害者のような意識で犯罪を行なっている。本質的犯罪は溢れているけれど、邑の人達は気付く能力が欠落している。

脳力

藤井聡太くんは、

失敗することを、

知っているから、

どこにいても、

何をしていても、

四六時中、

眠っていても、

考えたくなくても、

脳が勝手に、

気になる棋譜を、

考えつづける。