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2009-02-04

■[建築のはなし]RC打ち放し

今のRCはみんな外壁がきれいですよね。昔、低層の貸事務所で外側に断熱材を塗布したRC打ち放しの物件を作ったことがあります。梁なし柱なしの壁構造で、躯体は壁が300mm、床が400mm程度ありましたが、夏だと表と部屋内とでは温度が全然違います。友人は普通のRC打ち放しの住宅に住んでいましたが、輻射熱が強烈でエアコンをいくらかけても利かなかったそうです。断熱の無いRCの住宅に住んだら、寿命が10年は縮まるよね。

あと打ち放しはクラックが出るから、台風が来たりするとやっぱり水が漏れますね。

*大昔のメモ

福井の永平寺に参禅をした時のことである。着物に袴をはき、足袋をはいて廊下に整列をした。

『心は教えることができません。ですから、形を教えます。形の意味については、自分で考えて下さい。何故そうであるのか、心については自分で考えて下さい。』

若いお坊さんの言葉である。

形とは何だろう。会社の規則も方針も形だ。知識、お金、仕事の仕方、マニュアル、言葉、みんな形だ。形は、すぐ変わる。時代により、人により、気候によってさえ変わる。心を教えることができないから、形を教えている。形は形をととのえ始める時腐り始め、形となる時、腐ることで完結する。だから、形に、価値があるのではない。例えば、会社の経営についてとか、部下の指導について、とか、定評のある書籍があったとしよう。そして本の通りに行ってみる。必ず失敗する。何故か、本にあるのは、形だからだ。例え、心について書かれてあるように見えても、形だ。形は、悩み始める為の一歩に過ぎない。形は、心を知る為のきっかけに過ぎない。あるいは、理解する、納得するといいかえてもよい。理解した、あるいは納得した、と思った瞬間に形になる。理解をするということに、これで“やや十分”、ということはない。知能のある人程、これで理解できたなどと思わないものだ。会議には4種類ある、と教えられると4種類しかないものと考える。これは、何も考えていない証拠だ。

形は考える者のきっかけに過ぎない。又、考えることにこれでよいということもない。

*

すこしわるい親はすこしわるい親からうまれ、

すこしわるい親をうんだすこしわるい親もすこし悪い親からうまれる。

*

子供が親を殺す事件は、

子供に原因があるのではなく

殺される人に原因がある、と思う。

殺される人は、子供の心境を考えようとしないのではないか。

殺される人は、物事を正と悪とに分割し殺される人が正と思う行為を強制するのではないか。

殺される人は、子供は親の言うことをきくものだと考えるのではないか。

殺される人は、子供に人格があると考えないのではないか。

殺される人は、意見の異なる隣人と話をするように子供と話し合いができないのではないか。

殺される人は、互いの異なる意志について子供とコミュニケーションをとれないのではないか。

子供とコミュニケーションをとれない親はすこしわるい親であると思う。

すこしわるい親であると自覚できないひとはもっとわるい親であると思う。

焼き時間

小さいものだと6時間くらい、短い時間でも焼けます。割れにくいんですよね。要するに比率×作品の大きさ=ひずみなんですよね。小さいものの方がひずみが小さくて済むから割れにくいけれど、大きいとひずみが大きくなりますからね。だから大きくなればなるほどゆっくり焼く必要があります。