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新聞のはなし
東京の新聞を全部とったことがあります、丸2ヶ月くらい。日経、毎日、朝日、読売、東京新聞の5紙です。面白かったですよ。何が面白いかと言うと、まず一面の記事が違います。それから事件に対しての扱いが違う。批判的、肯定的、無視を含めて。
新聞記事が本当かどうか気になって、新聞社に電話して訊いたことがあります。ある記事について訊きたい、と。この記事はどのレベルから取材した内容なのか確認したい。直接末端で買っている人から確認したのか、あるいは中間の卸業者から「末端ではこうなっていますよ」という伝聞なのか、それを確認したいって。記事を書いた人に電話を回してもらってね。そうしたら「伝聞です」って。やっぱりいい加減なもんです。やっぱりその程度のことを前提として書かれている。新聞記事にはこう書かれているという以上のことはなくて、事実は分からないですよね。
読む時間はだいたい10分くらいで済ませることが多いです。時間があるときはのんびり30分くらい読むこともあるけれど、1時間は読みません。新聞はやっぱり時間がかからないですよ、情報の収集に関しては。インターネットでニュースを拾うのは時間がかかります。クリックして表示されるまでの間で、新聞だとパッと開いて見出しが全部目に入るから。うちのある社員もずっと新聞をとらずにパソコンでニュースを見ていたのだけれど、数年前からやっぱり新聞を見始めましたね。早いし情報の量が違うから。
だいたい日経新聞の見出しくらいは目を通している人は多いけれど、新聞が面白いのは、その見出しにどう反応するかということが、人によって違うんですよね。何の問題もなくスッと通り過ぎる人もいれば、ちょっと引っかかって、その記事の背景に気が付く人と気が付かない人がいる。それに対する感想も人それぞれですしね。
非・金科玉条
今回のブログのテーマとして、色々なテーマについて色々なことを言って、僕の考えを表現していきたいのですが、それは金科玉条といったことではなくて、どちらかというと非・金科玉条ということに基づいて話していきたいと思います。つまり、「ある場面にはその通りだろう、別の場面にはこうだろう」といった意味ですね。だから通常の金科玉条といったら、「状況に関わらずこうですよ」という絶対的なことです。そうではなくて私が常に思うのは、場面によってはAであることが、常にAであることはないということです。
こういうことを念頭に置いて、このブログで表現していきたいですね。