作品とテクスト

建築の学生の卒業制作などを見ていると、作品に何らかの意味を付けようとしますよね。人間関係の有り様だとかを考えていて、すごく肩に力が入っている感じがします。

 ーそういうのは教育的には必要だとは思います。(本橋)

でも意味が必要であるとか、意味を説明するというのは違う気がします。建築家は雑誌に掲載する時に自分で解説文を書くじゃないですか。例えば小説で言えば、自分の作品の解説文を書いたりしないから、良いなと思うんですよ。(笑)解釈は観る方が勝手に決める話だから、つくる方は作品でしか主張してはいけないと思うんです、本来は。

 ―建物とテクストがセットで作品だと考えるのはどうでしょう。あるいは観る側のリテラシー能力のなさから仕方なく解説を付けているとか。(笑)まあ、建築はコルビュジェにしろ建物と言説がセットになっていた方が強いですから(本橋)

油絵でも求められれば書くかもしれないけれど、最初から経緯とセットにはなってない。

 ―だからそれが逆に建築の個性だと思えばいいのではないでしょうか、その弱さに対してネガティブにならずに。(本橋)

学会もあることだから、建築は思想の側面が強いのかもしれない。建築のデザインは思想の結果に過ぎない、という言葉でもあれば納得しやすい。