新着情報
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財団の応募者の書類を選考している。
私と建築との関係は何か、
建築のなかの私はどのような存在か。
社会のなかの私はどのような存在か。
どのように向き合っているのか。
どのような問題が存在するのか、
私、建築、社会に。
私にとっての関係性であるから、
私はまず私自身に問わなければなるまい。
私の2才の頃からの故郷の記憶は、
風景、音、匂い、臭い、温度、湿度、手触り、肌触り、怒り、哀しみ、喜びさえ、
一切が生々しく不快でさえある。
私の故郷の建築のなかの私は、
どのような存在だったのか。
*コンクリート落下事故
笹子トンネルをはじめ、コンクリート落下があちこちで見つかっています。
二つ問題があります。
一つ目は、設計の問題。
笹子トンネルの天井板は構造上危険なわけです。
アーチ状の天井の方が堅牢なのに、わざわざ高いコストをかけて天井板を付け、換気の為に必要だったと言っておりますが、今は危ないから撤去しているわけで、それでも問題ないわけです。過剰設計と、勘繰りたくなります。
二つ目は、調査の問題。
例えば、一定規模以上の建築物では、一定期間ごとに外壁タイルの調査をしなければならない。
外壁タイルの落下事故は、件数はそんなに多くはないけれども、過去確かにあって、数年前、確か2008年あたりに建築基準法12条に基づく定期調査と行政庁への報告義務が強化されました。
一定期間ごとに、場合によっては全面をテストハンマーによる打診により確認しなければならない。
次に、調査は、専門技術を有する資格者が行わなければならない。
トンネルや、その他の構造物では、誰が、どのように調査をしていたのか。
一従業員が目視で見回っただけで、調査をしたことにしているのではないか。
わかっていて、調査費用を節約したのだと思います。
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年に数百棟の貸ビルを見に行く。貸ビルとしての出来不出来を査定するためである。貸せるのか貸せないのか。いくらなら貸せるのか。ぱっと観て設計の好きな設計士が建築した建物だとわかるビルがある。建築士だけが満足する自己撞着のような建物は貸ビルとして失格である。
建築士がひとり楽しむのではなく、テナントの目的が充足される建物が良い貸ビルである。
テナントがビルを借りる目的は何なのか、考えたことがない建築士はビルを設計してはいけない。
昔、ヒサエダさんという弁護士さんに、大手設計事務所の責任者に会ってくれと頼まれたことがある。ヒサエダさんが貸ビルを建てるという。設計を頼んだ事務所の責任者にわたしの考えを教えてほしいと言う。
責任者はわたしの言うとおりに図面を修正しようとしない。大口論である。
あなたはこの設計ブランで、いくらで貸せるのか、テナントが何の目的でビルを借りるのか、1度でも考えたことがありますか。
さあ言ってみて下さい、何も言えないのなら、わたしの言うとおりに設計しなさい。
設計事務所の責任者とは喧嘩別れしてしまったけれと、ビルが完成し見に行ったところ、わたしの指摘したとおりに設計されていたのであった。
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数十年モデルチェンジをしない、ルノー4という車があった。白黒映画のジャンギャバンふんする若いヤクザが、パリの裏道をすっとばしていく安っぽい車である。映画を見てからわたしはルノー4を好きになった。
ルノー4は、お金の無い建築士が、安い土地を借り、才能が無いにしても、自分なりの建築士事務所を建てた、という感じの車である。けれど、貸ビルには合わない。
昔、ジャガーというめちゃくちゃデザインの素敵な車があった。自社ビルには合う。けれど貸ビルには合わない。
自社ビルの素敵な設計は、素敵であればあるほど、他の会社には合わないから、本来なら銀行の担保価値は無い。銀行員にそんなことは分からない。けれど、やはり貸ビルには合わない。
自社ビルのようにダントツに好きになられる必要は無いけれど、少なくともどんなテナントにもイヤだなと思われてはならない。これが貸ビルである。
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本橋君へ
ポンピドゥセンターの評価は現在どんなかんじですか。あなたはどう思いますか。
佐々木泰樹
佐々木さん、こんにちは。
ポンピドゥセンターというと、パリにある70年代にR・ロジャースとレンゾピアノが建てた物と、メスというフランス北部にあるついこの間竣工したB氏設計の建物がありますが、どちらでしょう?恐らく最近の物の方ですよね。
美術館が開館したのが5月か6月あたりだった気がしますが、その折にはわりとテレビなどのマスメディアに取り上げられていました。その際には必ずといっていいほど、B氏の名前や写真が取り上げられていましたし、子供たちが彼にサインや写真を求めるといったことが頻繁にあったようです。フランスでの建築家の社会的地位を端的に顕している光景でした。そして少なくともあの六角形の木格子の屋根やそこから突き出したボリュームといった形態がつくるイメージ(形象)は、そのあからさまな分かり易さからある程度のポピュラリティを獲得できたと言えるかと思います。
一方で建築メディアは冷ややかだったといえるかと思います。こちらの雑誌で大々的に特集されたような記事は見ませんでしたし、恐らく新建築での掲載が一番、頁数としては多いものではないでしょうか。同時期に竣工したS氏のラーニングセンター(スイス)はかなりの建築メディアに取り上げられていました。つまりはあの建物のイメージはポピュラリティを獲得し得るものの、建築の批評性を獲得はし得ないことの表れだと、僕はみています。
あまり僕は書きたくはないのですが、佐々木さんじゃないですが、端的に言えばやはり「美しくない」のがひとつだと思います。
基本的な構成として、様々な方向に振られた細長い長方形のボリュームを積層させて、その上からふわっと六角形の木格子の膜を張るということですが、これ自体は木格子でやることを除けばとても80年代的ですね。坂本先生で言えばHOUSE F、伊東さんで言えばシルバーハット、山本理顕さんでいえばGAZEBOといったところでしょうか。決してこれが悪いとは思っていなくて、それを木の格子で曲げでつくること、六角形の幾何学を徹底させて構造、工法の単純化をしていること、そしてその覆いが作り出し得るゆるやかな領域とメスという土地、敷地に対する理解(パヴィリオン的に建つこと、シンボル性があること)は概ね良いのだと思います。だからコンペに勝てたのでしょうし。
ただ僕が感じている決定的な間違いはその構成に対する規模の問題で、覆い・建物が小さすぎると考えています。予算の問題からかなり規模が縮小されたとも聞いていますが、それにしても全体のプロポーションが大らかに水平に伸びていくべきところを、かなり下から突き上げた格好になってしまっています。アプローチ側は何とか体裁を整えようと覆いを下の方まで下ろしてきていますが、角度を変えてみると丈の短いTシャツを着せられているみたいな不恰好な風体になっています。
またボックスの外、覆いの下の中間的な領域の扱いも疑問です。ガラスのサッシを地面から大きくうねる天井まで伸ばして内外を分断してしまっていて、魅力的であるはずの領域の曖昧さがそこで一気に切り捨てられてしまっています。実質的な運営上、ある程度のそいうことはやむをえないとは思いますが、とはいえ、あまりにも前提となっている構成を捨象したもののあり方がひどく醜く感じられます。そういう意味で坂本先生風に言えば、建築家の頭の中にあるモデルとしての構成とプラグマティックなレベルで現実との対応しかたに、全く緊張感がなくなっています。
と、ここまで書いて、もしかしたらパリの方のポンピドゥセンターの話を佐々木さんはされているのかも、とも思ってきました。
パリのポンピドゥの方は建築時にはその設備むき出しの意匠がパリの風景にそぐわない、ということで随分と不評を買ったようですが、その辺りはエッフェル塔の議論と同じようなことだと思います。今はすっかりパリの代表的な風景の一部としてポジティブに捉えられているのではないでしょうか。結局はその外観の印象はさておき、建築的なことで言えば手前の広場と1階のロビーとの連続的な関係、外部エスカレーターとパリの風景の関係、内部空間のフレキシビリティとその大スパンの架構をつくる細かい部材の構成、ソフト面で言えば常設展のコレクションの充実とともに企画展のジャンルの幅の広さとその的確さ、など全体的に評価できることがかなりあるので、外観に対する批判はどこ吹く風、といった感じじゃないでしょうか。
的を得たメールになったかどうか分かりませんが、思ったことを書いてみました。
本橋良介