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企業文化1
企業文化とはどういうものでしょうか。文化というと、人間関係の構築の仕方であったりとか、文明とは違う人間の生き方みたいなものでしょうか。
?僕は企業に勤めたことは無いので分からないですが、例えば大学の文化というのはあるかもしれません。東工大であるならば、昨今話題になっている、いわゆるオタク文化というのがよしとされる文化ですよね。
板谷波山さんも吉本隆明さんもオタクっぽいもんね(笑)。そういう面で言うと、確かにイメージは合っているかもしれないね。
僕は岩手の人間だけれど、本家は農家で何百年か続いた家なんです。その周辺で辿っていくとどこかで遠戚かなにかで繋がっているような人たちが集まっているんですね。そういうところに居ると息が詰まる。そういうところではどういう風にすれば生き易いかというか、生きる為の知恵、相互扶助みたいなものは厳格に決まっているんですよね。例えば結婚式は、最近は個人と個人だけれど、昔は家と家の結婚式なわけです。それは何を意味するかというと、社会生活をする上で家を構えて子供を作って育てるというのは、自分たちの力だけでは大変なので、遠戚関係を含めて融通し合いながら銘々を助けてやっていこうというシステムですよね。また、農家なんかで家を造るだとか、茅を葺き替えるなんていうと、村中の人が無報酬で手伝うんですよ。お互いに色んなことをやるわけです。つまり生きる為のシステム、あるいはシステムがどういう風に動くのかということが文化かなって思っています。
僕が育った町では、よその町から来た人は「流れ者」という扱いでした。それは生きる知恵が違う、ということでした。もし事件があったとしたら、我々とは対応の仕方が違うよという認識です。だから信用しちゃいけないよ、ということが裏に隠れているんですね。
そういう面でいうと、東京は膨大な「流れ者」の塊ですね。
ルーティンワークの中のセンサー
いつもそうなのですが、このパターンは儲かるであるとか、競争が少ないであるとか、付加価値が高いとかでやってみて、結果が出て利益が上がって、それで一安心というと、またダメになっちゃうんですよ。どこかで本質的には常にそういう状況なのだけれど、良いように見えていても同じパターンでもってずっと儲かり続けることはあり得ない。常に競争があって、常に陳腐化していきます。新しいものも出てくるしね。
業務の処理で言うと、大きな会社では上場廃止になっちゃうんだけれど、例えば普通の小さな会社で経理なんか、下手すると現金出納帳くらいをつけておけば、場合によると税務署が勝手に計算してくれて「これだけ払いなさい」と言ってくれて、通っちゃうことがあります。仮にそういった規模だとすると、やはりお金を持ってくる業務が一番重要になってきます。経費を払って利益がいっぱいでるようなちゃんとした仕事、ノウハウ、あるいは付加価値が高いものをバンバン売れれば、多少、内がおかしくても会社はなんとかやっていけます。例えば、書類の整理だとかが多少悪くても、お客さんに迷惑をかけなければ回っていくんですよ。経理にしても文章管理にしても、時間の余裕が与えられます。税務署で勝手に算出してくれるし、利益はいくらかを教えてくれるし。
基本的には経理は経営管理の略というくらいだから、自分自身の健康状態をチェックするために必要なものであって、自分自身の健康状態が分からなければ、どういう食生活をすれば良いのか分からないわけだから。絶対的に良い人生を送るためには、自分の健康状態を分かる必要はあります。どういったものを食べると、自分の健康に悪い影響を与えるかとかも知る必要があるし。
ただ付加価値が高くて利益が上がるものをもってこられれば、最悪の場合そこがおかしくても会社はやっていける。とりあえず、おいしいものを食べていればなんとかやっていけるということですね。だからそういう発想をみんながもっていないとまずいのだけれど。本質について言うならば、会社に来ていれば結果や生活が保障されるのではなくて、仕事はどこかでフルコミッションの営業のようなものだと思う。やっぱり銘々が良い仕事ってなんだろうか、ということを考えた方が良いと思うわけです。
営業面のとっかかりは日常の業務の周辺にあると思います、新しい仕事や分野ですね。我々が今やっている日常の業務と関係のないところにあるのではなくて、日常の業務をきちんとやっていれば必ず気が付く範囲にあるだろうと思っています。だからなかなかそれが発見できないのは、日常の業務のセンサーがどこかで鈍っているのかもしれない。日常の業務をきちんとやって、感性が働くような働き方をしていれば、必ずセンサーに引っかかるはずです。新しい仕事、儲かる仕事、お客さんにもっと貢献できるかたちといったことを、発見できると思うのだけれど、今はそこの部分の感性がうちの会社は鈍くなっている気がします。
経営者としての思考の体系
私は26歳で独立しましたが、やっぱり会社を自分で創ったのは威張りたかったからです、単純に。(笑)威張りたいっていうのは、つまり自分の意見を否定されたくないということ。社長がいて私が雇われて、社長と意見が違ったらやっぱりやっていけないからね。社長は自分と意見が違うとなると給料を減らすであるとか、降格するとか、場合によればクビにするということも出来ます。
要するに会社経営というのは、自分自身の考えを形にしていく場だと思っています。みんなの考えを聞いて、良いところを組み込める人は少し賢い社長かもしれないし、あるいは賢くないかもしれない。本当に賢い人は社員の意見を一切聞かないかもしれないし。分からないね。
でも、やはり自分の思考の体系の中に色んな種類の考えを取り込めていける会社は伸びるんでしょうね。弾いていくと会社としてのパワーがやっぱり落ちる気がします。色んな種類の人がいっぱいいて、そうなるとぶつかる場面が出てきます。その場面を自分の体系の中に取り込めていければ、その経営者は伸びるかもしれない。
結局、社長って言うと下らない話をしても、一応みんな真面目な顔をして聞いているフリをしてくれる。(笑)ありがたい話だと思うよ、普通あり得ないよね。(笑)だから「王様の耳はロバの耳」じゃないけれど、みんな言いたいことを言えなくなると人は狂うんでしょうね。言いたいことを言わんとするために、世界中でみんな殺し合いをやっているんでしょう。
日本の不可思議なサラリーマン
他の国のサラリーマンは知らないけれど、日本のサラリーマンが不思議で仕方がないことがあります。この前に談合があったのは、名古屋でしたよね。談合を仕切っていた人は会社の言うことよりも業界の付き合いを大事にしている。あれは不思議な感覚です。会社の命令よりも自分が仕事で付き合っている会社の人間関係を大事にするという、本当に不可思議で得体が知れない。どこから給料をもらっているのか。
日本のサラリーマンというのはそういう傾向があります。そういう風な人によくお目にかかります。会社じゃなくて、僕だからお客さんが付き合ってくれた、というような発言をする人がいる。とてもじゃないけれど、知能が低いとしか言いようが無い。もしも本当にそう思うのであれば、独立して自分で建設コンサルタントをやれば良いだけの話です。
結局、自分の家族の生活費、仕事上の経費を出して頂いて動いているわけです。それで実際にやっているのは、会社の仕事ではなくて自分の仕事であるというならば、給料をもらう資格がないですよね。会社の命令通りに動くのが当然であって、それが嫌ならば辞めればいい。会社は給料を払う、それによって社員は会社の命令に沿って働くという契約ですからね。無論、脱法は言うことを聞く必要はないけれど。給料だけもらってあとは好き勝手にやるというのは、どうも理屈が通らない。マネージメントしている人の命令に従わないで、結果だけ出せば良いという考え方の契約ではないですから。
それは要するに、仕事を発注する元請けと下請けとの関係で、その場合であるならば契約書通りの仕事をきちっとやれば良いだけのことです。でもこれは雇用関係ではないので、ちゃんとした結果が出なければお金は貰えないし、ましてや作った製品の欠陥によって元請けが損害を被れば、その分は下請けが補填しなければならない。そういう関係なので、下請けと社員は全く違います。
そういう発想をする日本人はけっこう多いですね。日本人って論理的な思考が出来ない傾向がありますよ、センチメンタルだし。それは自分自身と向き合えないということだと思います。自分自身と距離が取れない。僕もそういう意味で言うと、日本人だけれどね。(笑)嫌だなと思うことがよくあります。
例えば、世界で大きな事件があったときに、ニュースでよく街頭でインタビューをしますよね。その時に欧米の人たちは理路整然として答えられますよね、中学生でも、高校生でも、おじいちゃんでも、サラリーマンでも、主婦でも。でも日本人って言えないよね。感想を一言しか言えないような全体的な傾向があります。貧しいですよね。
だから日本人は他人と付き合うのが下手だっていうけれども、他人じゃないんですよ。自分との距離を保てなくて、自分に甘いんだと思います。だから他人の捉え方も甘くなっちゃうから、起承転結でもって客観的に物理的に物事を捉えることができない。
情緒的に話すことができる、「やっぱりおかしい!」とか、一言、これで終わり。(笑)
談合
私が23,4の頃にこの業界に入って、ある一部上場のゼネコンの当時40歳くらいの課長さんが「下請けさんからいくらか儲かった」といったことを私に対して平気で言いました。よくそんなことを平気で言えるもんだなと感心してしまって。一晩10万以上取られる銀座のクラブの領収書を全部下請けに流すであるとか、しょっちゅう聞きました。挙句の果ては、ゼネコンに勤めている友人と話したときに、彼曰く、「工事業者が潰れたら国は困るでしょ、やむを得ないことなんだ。談合というのは建設業界を守るためには必要悪なんだ」と言うもんだから、こいつ狂ってるなと思いました。
というのは、取引先で勉強会があって、休憩のときに雑談的にですが、その一員の弁護士さんからゼネコンさんの談合の話がでたんですね。
「いくら大手のゼネコンさんのトップが集まって『脱・談合』を掲げても、結局永遠になくならないだろう、とみなさんは内心思っているようだ。でも単純に言えば、例えばシンガポールの法律では煙草を路上に捨てたら刑務所に入れて懲役刑になるであるとか。その他にも、マリファナ吸ったら生涯牢屋であるとか。ゼネコンの談合というと税金を泥棒しているのと一緒だから、そういう様な考えに立てば、取締役の全員に執行猶予をなしにして半年以上の懲役にすれば、談合はなくなるのではないか。」
そんな話がある弁護士さんから出ました。確かに、もし私がゼネコンのトップだったら談合はやらなくなりますね。何が何でも談合をさせないように、きっと動くでしょうね。