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“プロフェッショナルと仕事をしたい”

山中伸弥さんはプロフェッショナルの定義を、自分が分かっていないということを分かっていること、と言う。仕事をするほとんどの人は、自分が分かっていないということを分かっていない、とわたしは思う。わたしは分かっている人と仕事をしたい。

寝ても覚めても仕事のことを考えている。そんな人をわたしは好きだ。庵野秀明さんはそんな人にみえる。

「詩人とコスモス」

谷川 俊太郎さん 24才

日本にはたしかに素人詩人が多すぎるようだ。彼等はまるで中学生のように、自分のいいたいことばかりを、勝手な言葉でいい散らす。そこには読者への心づかいもなければ、商品としての体裁もない。そうして一方では彼等は別の職業で糊口をしのいで、詩はただの告白や宣伝の道具にしてしまう。

詩をつくるということは、個人的な情熱のはけ口ではない筈だ。それを一個の商品と考えていい程、詩は社会的なものである筈だ。ぼくらはいいたい放題をいえばいいのではない。ぼくらは常に自己への誠実と、社会への誠実との間で苦しまねばならないのだ。詩の技術の問題もそこにあるのではないだろうか。片手間に医者がつとまらないのと同じように、ぼくらは片手間に詩は書けない。詩人が職業として成立しない社会は勿論いけない。同時に詩人を職業と考えない詩人もいけないとぼくは思う。

その先ず第一の答は、そうしたいから、という答であり、そして次の答は、そうしなければならないから、という答だ。

つくりたい、という気持は、詩人の情熱なのだ。そしてつくらねばならぬ、という気持は、詩人の広い意味でいって道徳(モラル)である。前者は詩人の宇宙的(コスミック)な生命のあらわれであり、後者は詩人の社会的(ソシアル)な人間のあらわれであると考えていいとぼくは思う。一つの詩は、作者の意識的であるなしにかかわらず、つくりたい、に出発して、つくらねばならぬ、を通って完成へと導かれるものだとぼくは考える。

“学歴2”

スズキヒデノリさんという友人がいる。早稲田大学に入学しヨット部に入部、ヨット部所有のセーリングクルーザーに入り浸った。聴講もせず単位もとらず一度も大学に行かなかった。ヨット部がクルーザーを所有する大学は早稲田だけだった。早稲田大学を選んだ理由である。ヨットを転々とする通称ヨット乞食となりレースに出たりしていたが10年後ヨットショーの手伝いのとき知り合った女性と女性経験豊富な彼であったが結婚した。結婚後ヨット乞食を卒業すべく医学部に入学し研修医のときにわたしのヨットに遊びにきたのだった。勉強は必要なときにすればよいわけですから彼はノーマルな生き方でノーマルな頭の持ち主ということになります。吉行淳之介さんという小説家も東大入学後聴講もせず単位も取らず学籍剥奪になったと記憶している。多分彼も学歴コンプレックスとは無縁です。真面目に勉強しなければいけない人は可哀想だと高校のとき思った。

(私立大学医学部は授業料が高すぎて普通の家庭では履修出来ないと考える人が多いけれどわたしの従兄弟とその子供2人は大学の奨学金全額の返済免除となり授業料の負担は一切無かったとのこと。因みに従兄弟は大学本校の教授であったが大学からの年収は1000万円であった。)

“才能”

常識的な話を得意そうに連発する人がいる。考えてそのような見解に至ったのであれば救いようがないがネットかテレビのコメンテーターか詰まらない評論家の受け売りに違いない。調べなくとも高校生程度のあたまで少し考えれば分かるようなものだが総じて偏差値の高い大学の出身者に多い。直観の才能皆無の人である。

“常識的見解についてあなたの見解を400字以内30分以内に呈示しなさい。誤謬があれば生涯の年収を50%カットします” と悪魔もしくは神が宣言し、あなたがほんとうに本質的に偏差値が高いとすれば99%誤謬のない見解を呈示できるだろう。

(直感と直観の違いを認識していない人をわたしはまず初めに軽蔑することにしている)

“何故大学に入ったか”

時間が欲しかった
したいことは悉くした
才能ある学生とは会えなかった
河村政敏教授以外は受講しなかった
青木敏浩との議論は悪くはなかった
議論は腐るほどしたが止揚はしなかった
就職に有利不利は考えたことが無い
卒業もしない
生きかたが異なった