親子のバランスシート

佐々木(以下、Sa):私が親として子供と付き合って、バランスシートはどうだったのかと考えることがあります、儲かったのか損したのか。また、私の父はどうだったんだろう、母はどうだったんだろうと、私を生んで育てて。

私の2級下の大学時代からの友達に訊いたんですよ、君の両親はどうだったかって。そうすると彼曰く、「母親は損したかもしれない、父親は得をしただろう。」彼はどちらかというとお母さんのことが好きだったんですね。本橋君の親はどうだろう?

本橋(以下、Mo):うちの親は俄然儲かっているのではないでしょうか、謙虚に言って。(笑)

Sa:それは幸せだな。

Mo:僕がそう言ってあげないと。親の気持ちになったら。

Sa:それはそうだね。(笑)

  でも面白いもんで、本橋君みたいに言える人はそう多くはないでしょう。

Mo:佐々木さんはどうでしょうか?

Sa:私は対子供で考えると、儲かっているんじゃないかな。

Mo:ではその明細を教えて下さい。

Sa:やっぱり会うと幸せだよね。上の子が2ヶ月ぶりくらいに来て、やっぱり顔をみると良いよね。

  結局、親と子という切り口で、銘々がその人の生き方全般を表現しているわけです。自分がどういう生き方をしてきたのか、どういう風に死んでいくのかという。そういう意味で儲かっていると言えるということは、幸せだよね。そう言えることは良いと思うよ。

Mo:そういう生き方というのはどういうことなのでしょうか?

Sa:やっぱり、最終的に生まれてきて良かったな、と。いろいろあるけれども、この星も見捨てたもんじゃないよ、ということかな。彼と会えたのが良かったとか。何十億年前にお互いを作る元素がどこにいたかはわからないけれど、一瞬すっと巡り会うわけでしょ。数十年間。宇宙の歴史の中からすると、ほんとに一瞬。そういう風に考えれば、友達も含めて巡り会って良かったなと思いますよ。4,5歳の頃は、計算が合わないなって思ってたんだよ。楽しいことは、それはいっぱいある。でも哀しいこともあるし、それが辛い。幸せなことは無くても我慢できる、でも哀しいことはあったら我慢ができない。どう考えても、損だなって。それが未だにずっと残ってる、耳の後ろあたりに。でも、24,25の頃には生まれてきて良かったと思えるようになったね。